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その昔、4月29日の昭和天皇誕生日と5月1日の「メーデー」があったからこそ、ゴールデンウイークが誕生したと思うのだが、29日は「昭和の日」と名を代え祝日として残ったが、「メーデー」は、もはや死語と思われるほど認知されていない。もちろん、昭和の時代でも、祝日ではなく、学校は休みではなかったが、なにせ「労働者の祭典」なのだから、企業は休業するところがほとんどだった。とりわけ、私の故郷、夕張は、炭鉱の街であり、労働者しかいないともいえる街だった。昭和30年生まれの私が小学校を終える頃、炭鉱産業はピークを過ぎたのだが、それまでの夕張市の「メーデ」ーは、すごかった。子供たちには、赤い三角の旗が配られ、大きなデモ行進が続いた。総決起集会が行われる「昭和グランド」には、露店が並び、日本プロレスが毎年のように興業を打っていた。私も、昭和の終わりごろに、組合の役員をやらされて、一回だけ参加したことがあるだけだ。「メーデー」はいつの間にか無くなってしまったのだろうか。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2024.05.01 21:01:48
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