本因妙
本因妙「本因」とは、成仏の根本原因です。幸福の本源です。久遠において釈尊が実践した修行にそれがあるのです。それが〝妙〟であり、不可思議なので「本因妙」と言います。寿量品では、釈尊の心の成仏は五百塵点劫という計り知れない久遠の過去のことであると説かれています。この本因本果による成仏は、寿量品の文の上では釈尊のこととして説かれています。しかし、文底の立場から見れば、釈尊の成仏だけに限られるわけではありません。本因本果は、釈尊の久遠の成仏であるとともに、最も根本的で普遍的な成仏の因果を示しているのです。したがって、万人の成仏の因果でもあるのです。「因果具時・不思議の一法」(御書513㌻)と言われるように、本因・本果は南無妙法蓮華経の一法に具わっています。そして、「因果の一念」と言われるに、南無妙法蓮華経の一法を信ずる一念に、本因・本果は具わるのです。この「一念の妙」が、大聖人の「本因妙の仏法」の極意です。また、一念三千の究極です。凡夫の一念に本因・本果ともに具わるのです。一念が変われば、一切が根底から変わるのです。本因・本果を一念の生命に見る文底仏法の生命観は、私たちに大変に重要な生き方を教えます。すなわち、つねに生命本源の出発点に立って、未来への新たな前進を開始することを教えるのです。私たちは瞬間瞬間、幸・不幸や苦・楽を感じて生きています。その現在の一瞬の生命は、過去の原因によってもたらされた結果です。このことは、比較的たやすく分かります。しかし、現在の一瞬の生命は、未来への原因でもある。このことは理屈の上では至極当然のようでいて、実際の生き方の上では気づきにくい。いかなる未来を実現するかは、現在の一念によるのです。戸田先生は言われています。「瞬間に起こった生活の事実を、たえず未来の原因とする、あるいは原因でなければならぬと決定するのが、本因妙の仏法であります」「御本尊様をしっかりと信じまいらせた生活は、日常の事件を清らかな久遠の因として活動するものであり、また御本尊様の功徳によって、はかりしれない生命力が涌くのでありますから、それが結果となるときには、必ず良い結果が生ずるはずなのであります」(『戸田城聖全集』3)本因・本果は、われわれの一念に具しているのです。因果具時です。ゆえにわれわれは、生活の上に起こるいかなることも、よしんばそれえがどんなに不幸な結果であったとしても、信心の一念によって、久遠の本因—幸福の根本原因としていける。清らかな本源の生命から出発していけるのです。それによって、揺るがぬ幸福境涯へと生命全体が向かっていく。これは「本因妙の生き方」です。【仏法哲理の泉—折々の指導・講義から】大白蓮華2020年12月号