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カテゴリ:ビジネス本
仲間意識をどこまで、広げることが出来るか?について

利己的な遺伝子 <増補新装版>より、非常に小難しい話を紹介します。

要約は、仲間内では助け合うが、外に対して敵対的なのが人間
そこで、仲間という気持ちをどこまで広げるか、もとい広げられるかという話が出てくる

人は共存すべきだという人たちに対して、では世界平均を取って、今より50年前の日本のようにろくに洗濯機も電子レンジもない生活をしようといってみようといったら鼻白むだろう。
だが、世界の殆どの人がしている生活はそれなのだ。

もし拒むならそれは、豊かな生活をしていない人は仲間ではないと認めているに等しいんじゃないか?
だとするなら、どこまでが仲間かなんて、簡単には決められないことを分かっているのか?

多分そういう話なんだと思うのだが、どうだろう…?
以下抜粋

紹介したい言葉
14頁 最近、民族主義や愛国心に反対して、仲間意識の対象を人間の種全体に置き替えようとする傾向がでてきた。
利他主義の対象のこの人道主義的な拡大は興味ぶかい帰結を生む。

つまり、それはやはり進化における「種の利益」諭を支持しているようにみえるのである。政治的に自由主義的な人々は、ふつうは種の倫理をもっとも強く信じている人であり、したがって今や彼らは、利他主義の枠をさらに広げて他極をも含めようとする人々に対して、もっとも強い軽蔑の念を抱いていることが多い。

もし私が、人々の住宅事情を改善することより、大型クジラ類の殺戮を防ぐことのほうに関心があるといったとしたら、一部の友人はショックをうけるであろう。

自種のメンバーが他種のメンバーにくらべて、倫理上特別な配慮をうけてしかるべきだとする感覚は、古く根強い。戦争以外で人を殺すことは、通常の犯罪の中ではもっとも厳しく考えられている。

われわれの文化でこれより強く禁じられている唯一のことは、人を食べることである(たとえその人が死んでいても)。しかしわれわれは他極のメンバーを喜んで食べる。

われわれの多くは極悪犯人に対してですら死刑の執行をしりごみするが、一方、たいした害獣でもない動物を裁判にもかけずに喜々として撃ち殺す。

それどころか、われわれは多くの無害な動物をレクリエーションや遊びのために殺している。アメーバほどにも人間的感情をもたない人間の胎児は、おとなのチンパンジーの場合をはるかにこえた敬意と法的保護をうけている。

だが、最近の実験的証拠によれば、チンパンジーは豊かな感情をもち、ものを考え、ある種の人間のことばをおぼえることすらできる。
胎児はわれわれの種に属するがゆえに、即もろもろの権利・特権を与えられるのである。

リチャード・ライダーのいう「種主義」の倫理が、「人種主義」の倫理よりいくらかでも確実な論理的立場にたてるのかどうか、私にはわからない。
私にわかるのは、それには進化生物学的に厳密な根拠がないということである。

どのレベルでの利他主義が望ましいのか家族か、国家か、人種か、種か、それとも全生物か-という問題についての人間の倫理における混乱は、どのレベルでの利他主義が進化論的にみて妥当なのかという問題についての生物学における同様な混乱を反映している。

群淘汰主義者ですら、敵対集団のメンバーどうしが互いに忌み嫌いあっているのをみても、驚きはしないにちがいない。

つまり彼らは、労働組合主義者や兵士と同じく、限られた資源をめぐる争いでは自分の集団に味方しているというのだ。

しかしこの場合、群淘汰主義者がどのレベルが重要であるかをどうやって決めているかということは、問う価値かおる。もし淘汰が同じ種内の集団間や異種間でおこるのであれば、もっと大きな集団間でおこらないのはなぜだろう。

種は属で集団をなし、属は目としてまとまり、目は綱に属する。ライオンとアビアロープは、どちらもわれわれと同様に哺乳綱のメンバーである。では、「哺乳類の利益のために」アビアロープを殺すのをやめるようにライオンに要求すべきだろうか。たしかに、綱の絶滅を防ぐためにはライオンはアビアロープのかわりに鳥か長虫類を狩るべきであろう。だがそれでは、脊椎動物門全体を存続させるにはどうすればよいのだろう?
抜粋ここまで
(注:紹介のため、改行や行間を一部訂正しています)

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最終更新日  2009年04月07日 17時35分04秒
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