カテゴリ:スピリチュアル
会社の昼休みにネットニュースを見ていて、なんとも違和感を覚える記事がありました。 <政党ビラ配布>1審無罪の僧侶、罰金の逆転有罪 ...東京高裁 (毎日新聞) 記事はココです。 記事の内容は、共産党の広報ビラを集合住宅の集合ポストに投函した僧侶が、2審で有罪の判決が出たというものです。 私は政党としての共産党に興味があるわけでもありません。 どちらかといえば、旧社会党系の人達が言ってきた言動の方が笑えます。 特に「責任・責任」という言葉を好むいい加減さが、なんとも人間臭くて興味があります。
それはともかく、私が記事から受けた違和感は、 共産党 = 僧侶 というものです。 なんで、そんなところに・・・と想われるかもしれませんが。。。
共産主義思想は、 唯物論 が背骨にあるのではないのでしょうか? マルクス教団といってもいい、根本経典の土台を成すのが唯物論だと想っていました。その唯物論と対極にある精神世界を商売道具にする僧侶が、共産党の広報を配布していたんです。 不思議です。。。 とことん唯物論を突き詰めると、唯物論の、そのモノの存在は何処から来たのかという根本に行き着きます。この僧侶もそこに行き着く過程の修行中なのかと、考えもないわけではないのですが。。。。。 マルクス教の根本には、 「平等観」 があるそうです。 これはどちらかといえば、仏教よりはキリスト系やイスラム系に近く、仏教で言えば浄土宗系(仏陀ではなく阿弥陀仏信仰を中心にする系統)の教えになります。 そう考えれば、この僧侶は禅宗系ではなく浄土宗系なのかもしれません。 マルクス教が根強い人気があるのも、この「平等観」のためです。 ただ、本当のところでこの「平等観」に共鳴しているかどうかは?です。 学生運動をしていた方々のなかには、社会の仕組みをまったく新しくして、自分達の世代が先輩に取って代わる。。。。という甘い考えで、マルクス教を利用していたりして。。。「革命バンザイ」なんてネ。
ちなみに資本主義は、 「公平観」 がその出発にあります。 資本主義の理想的なスタイルは、機会の平等、結果の公平(競争の原理)を主軸にして、バランスのとれた救済装置を配置することになります。 今色々問題になっている日本の仕組みは、救済装置の効率が悪くて暫定的に結果の公平を保留してきた部分に集中しています。 今はバランスが戻るまでの過渡期ですが、その時間を養えるだけの国家の体力が心配です。特に少子化や基礎学力の停滞など。。。 蛇足です。 科学の思考は、現象から根本の真理(原理)に行き着くベクトルです。 そのため「実験・観察」が大切になります。 近代の哲学も、多くの人がイメージすることが容易な、日常から普遍性を求めるベクトルが主流になりました。
宗教や古い時代の哲学者の思考ベクトルは、インスピレーションを出発にしています。科学のベクトルとは真逆のものですが、単なる思い付きではありません。 常識的な知識を持ち、目的を持った深い思索から湧き上がってくるものです。 これは、アインシュタインが言っていた「思考のジャンプ」に相当するものかもしれません。 インスピレーションによって、先に真理(原理)の発見があって、それを言語に翻訳したものが経典(仏教なら仏典)になります。教えです。 宗教や思想は、時代と対象とする人々の合わせて、真理(原理)が翻訳展開されるものです。 ですから、その根本にあるものに気がつかなければ時代適応性を欠くことになります。 教えの根本思想を知ろうとせずに、宗教的な雰囲気に惹かれてしまうと、オウムのような悪意のある団体に取り込まれます。 詐欺師は、分かりやすい装置を用意しているものなんです。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2007.12.13 01:31:46
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