よこはま教育フェスティバル
昨日、よこはま教育フェスティバルに行ってきました。午前中、鈴木敏恵さん。本当に残念だった。伝えたいことがバラバラしていて、初めての人には伝わらなかったんじゃないかな~って思った。キャリア教育、フィンランドの教育、プロジェクト学習、ポートフォリオそれぞれに伝えれることがたくさんあるのに、敏恵さんのもっているものの30%も伝えられていなかったと思った。最後に残って、ジーンがプロジェクト学習の実践をまとめた冊子を敏恵さんにプレゼントしていた。僕も知らない実践だった。「町中の人に健康になってもらいたい」プロジェクト下野庭小4年2組の実践。これは、すごかった。午後は、「この国の教育のあり方」のパネルディスカッション。堀田さん、寺脇さんの話がじっくり聞けてよかった。ディスカッション全体が、まさに「この国の教育のあり方」という視点から進められ、今度の指導要領の改訂も今後20~30年を考えた上での一つの通過点であるという扱い方をしていたのが気持ちよかった。1:30~5:00までの長丁場であったにもかかわらず、全く時間の長さを感じさせない内容でした。中でも堀田さんの主張は、「人間開花社会」を実現するために教育のあり方はどうあったらいいのかという視点にブレが無い。その視点から、今度の学習指導要領も切っていく。物質的豊かさを求める時代から精神的豊かさを求める時代に変化しているにもかかわらず、教育が昔のまま。多様なニーズ、多様な価値を持った成熟社会における教育はどうあったらいいのか。一人一人が自分の能力を思いっきり発揮できる社会。そして一人一人がその社会に貢献できる。国も社会もそれをアシストできる。全ての人が花開く社会を目指している。検事としてロッキード事件まで扱った堀田さんは、社会の冷たさを感じていたそうだ。暖かいふれあい社会を創りたいという想いが根底にある。それには、まだまだ子ども達がかわいそうと民間教育再生会議を創り、主張し続けている人だ。そして寺脇さんもブレが無い。徹底的に「性善説」にたつ。官が責任を持つ時代から、自己責任の時代へ。文科省の施策は、性悪説=ほっぽっておいたら悪くなるの発想から成り立っている。もっとみんなを信じよう。(ここから先は、僕の理解)それぞれの学校に任せておいたら悪くなると思うのは、性悪説。それぞれの学校に任せたら、子どもの実態や地域性を踏まえて、本当に必要な教育をしていけると考えるのが、性善説。多少まずいことが起きることもあるかも、でも全体としては誤差の範囲でおさまる。今期の指導要領の改定も、あくまでも基準と考えるべき。そして10年ごとの改訂というのも崩れた。3年後、5年後かもしれない、次の改訂では現場で判断してねといえるぐらいにしようと、文部省の今里さんに投げかけられていた。この二人の話を基調に、文部省の今里さん、押尾教育長、市P連会長の鈴木さん、阿部進さんがうまく絡んだパネルだった。押尾教育長も東京から来た人ではなく、横浜を代表してしゃべってくれたことがなんだかうれしかった。教育長、一緒に頑張ろうねという気持ちになれた。この進行をした吉田博彦さんもすごい腕だなと思った。質問タイムで、僕も何が言えるかと考えていた。堀田さんの人間開花社会や、寺脇さんの性善説のように、自分の立脚点になっているものは何か。○楽しく生き生きとした学校づくり○まず、先生自身が生き生きと生きていること○遊び心を大切にしていること○もち味輝かせて○主体性・創造性・自己発展的・社会的承認の得られる実践を積み重ねること○子どもたちの中に素敵循環を創りだすことYSRSの主張と2人の考えはどうマッチングするのか。YSRSの主張で新学習指導要領をとらえると、どう評価できるのか。自分の学校で実践する時、何を大切にして行くべきなのか。そんなことを考えました。