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2024.03.07
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カテゴリ:小説


  病院から母に電話があったのは、ぼくが中学二年のときだった。電話が終わると母は大声で泣き始めた。ぼくが問いただすと「お父さんは胃癌だって」と泣きながら声を絞り出すのだった。
 昭和37年当時は癌と言われれば『死の宣告』を受けたと等しかったのだ。それで医者も患者には胃癌であることを隠して『胃潰瘍』と告げ、家族にだけ癌であることを連絡していたのである。
 ただ感情を抑えられない母は、親父が帰ってくると泣きながら親父にしがみついてしまう始末。親父が「どうしたのだ」と問い正してもただただ「早く手術してちょうだい」と泣き続けるばかり。これではお前は癌だと教唆されているようなものだ。口には出さなかったが、さすがに親父も自分は癌なのだと悟ったようである。母は37歳、親父は41歳の春宵であった。

 本来なら医者から電話があった時点ですぐに入院手続きをするべきであった。ところが和菓子製造業を営む親父は、1年で一番忙しい5月の節句が終わるまでは頑として入院を拒んでいたのである。
 二か月後になんとか手術は成功したものの、胃を全摘してしまい鳥ガラのように瘦せてしまった親父には、もう重労働の和菓子製造業を続けることは出来なくなっていた。それで泣く泣く店を畳んで郊外に引っ越し、パンと菓子の販売業を営む決心をしたのである。このときぼくは中学3年生で妹は中学1年生、弟は小学3年生だった。

 親父は病身でありながらも新居兼店舗の図面を引き、時々大工の進捗状況をチェックするために、スーパーカブを運転し約20キロの距離を往復していた。ぼくも自転車で親父の後に続いて行ったことがあったが、途中で親父とはぐれて道に迷ったうえに、見通しの悪い交差点で運悪くバイクと衝突してしまったのだ。
 幸いぼく自身に怪我はなかったが、買ったばかりの自転車の前輪がグニャリと曲がってしまった。だがバイクを運転していたのが人柄の良い青年だったため、ぼくを自宅まで送ってくれたり、自転車屋に修理を依頼してくれたのであった。
 ただ交換したのが純正のリムではなかったため、よく見ると後輪のリムと若干異なってしまったのが気がかりだった。それを親父に話すと、親父はバイクの青年に純正のリムに交換してくれと交渉したのだが、それを受諾するほど青年もお人好しではなかった。逆に「あなたの息子が信号を無視して急に飛び出してきたのだから、本来自分が弁償する義務はないのだ」と凄まれたため、親父も引き下がざるを得なかったらしい。

 さて因みにこの事故に遭った自転車は、オレンジ色で内装5段ギアのブリジストン製スポーツ車で、長嶋茂雄選手が宣伝していたかっこいい高級自転車であった。何を隠そうこの自転車こそ、渋ちんだった親父が、珍しく中学入学祝いだと、ぼくがねだるままに購入してくれた逸品であった。
 この自転車を買ったばかりの頃は、嬉しくて嬉しくて、中学校の友だちたちの家を次々に回って見せびらかしたものである。そして今でも毎日忘れずに自転車磨きを続けている、ぼくの大切な宝物なのだ。
 
 ところが転校したばかりの中学三年の春に、この自転車が何者かに盗まれてしまったのである。それを知った親父は、烈火のごとくぼくを罵ったのだった。ぼくはなぜ怒られなくてはいけないのだろうか。
 自転車置き場の裏木戸には鍵がかかっていたし、自転車自体にも前後二か所に鍵をかけていた。犯人はそれら全てを巧みに外して、音もなく自転車を盗んで風のように去って行ったのである。かなり慣れているようだし、計画的な犯行だったのではないか。ぼくは悔しくて堪らない。犯人も憎いが、何の落ち度もないぼくに腹を立てている親父も許せなかった。

 数日後中学校に登校し、何気に自転車置き場を覗いてみると、端っこに盗まれた自転車と同じオレンジ色の自転車が止めてあるではないか。だがハンドルやサドルの形が全く違うし、泥除けもついていない。それでも念入りに調べると、前輪と後輪の仕様が異なっているし、後輪にちいさな擦り傷がついている。
 これはあのときバイクとぶつかって転んだ時の傷だし、前後のリム仕様が若干違うのもあの事故で曲がったリムを交換したものだからだ。そう確信したぼくは教室には行かず、必死になって自宅まで走り続けた。

 その後親父がすぐに警察に届けて犯人はすぐに捕まった。犯人はあれだけ改造したのになぜバレたのか不思議だとうそぶいていたらしい。また犯人は同じ中学校の生徒だったのだが、警察では未成年だからと言うことで姓名は明かしてくれなかった。
 だが自転車は元の形になってぼくの手元に戻ってきたので、もう犯人が誰なのかと言う詮索はしないことにした。そんなぼくを見て、親父が「偉かったな、さすが俺の息子だ」と生まれて初めて褒めてくれたのである。さすがにぼくもこのときだけは鼻高々で「当たり前だい、自分の愛車なのだから」と心の中で呟いていた。

 こんな嫌な事件もあったが、やっと転校先の中学にも慣れて数人の友人もできたころ、親父と弟の3人で高尾山へ行くことになった。予定では高尾山駅までケーブルカーに乗って、そこから薬王院迄歩いて行くつもりだったのだが、半分くらい歩いたところで急に親父の顔色が悪くなり、地面に蹲ってしまったのである。心配して顔を覗き込むと「大丈夫だが、今日はもう帰ろう」と弱々しく呟くのだった。
 その日を境にして親父は食欲がなくなり、手術後も止められなかった大好きな酒も飲まなくなる。そして手術後10キロ減少した体がさらにやせ細って、ガリガリのミイラになってしまった。だがそれでも親父は休むことなく、家族のために商売を続けていた。

(次回に続く)

作:五林寺隆

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最終更新日  2024.03.07 18:34:49
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