ストーナー
「ストーナー」ジョン・ウィリアムズ 東江一紀訳 作品社
kuma0504が「ストーナー」という真っ白に近い装丁の単行本裏表紙を閉じて読み終えたのは、2021年1月27日の薄暗いコーヒー屋だった。気がつくと、彼の目に滅多にない涙が滲んでいた。
1891年米国ミズリー州の小さな農場の息子として生まれたストーナーは、ミズリー大学農学部生の時に英文学に出会い、鍬を振るう代わりに一生を本の中に埋める気持ちになる。それを指導教授は「きみは恋をしているのだよ。単純な話だ」と言った。本書はストーナーという完全に架空の人物の一生を丁寧に綴った小説である。kuma0504が数えること3度、ストーナーは人生を変える出会いをする。
kuma0504はそれより2か月ほど前に、1909年に日本の田舎に生まれた少女の昔語りを読んでいた(『一00年前の女の子』)。当初彼は日本と米国の民俗学的比較ができるのではないか?と期待していた。ところが紐解いてみると1900年初めの米国は20世紀後半のアメリカと変わりなく、日本のそれは天地ほどにも変化していて、比較のしようがないと思った。冠婚葬祭における、米国都市部の民俗、ジェンダー意識は、それほどまでに長いこと変化しなかったのである(おそらく現在は違う)。
kuma0504は、ストーナーの無欲で実直な生活に、越し方の壮年時代を想った。いっときの火花のような恋についても、経過は丸切り違うが同じ色の気持ちを思い出していた。
最終章に、ストーナー臨終の日々が延々と描かれる。kuma0504は父親のまるまる4か月に渡る看病の日々を思い出し、来るべき日々のことも思っていた。ところが、裏表紙を閉じる前に、訳者の弟子の布施由紀子が「訳者あとがきに代えて」を書いていて、正に訳者臨終の日々に最終章を訳していたのだと知る。
彼はある感慨に耽り、うっすらと泣いた。