|
カテゴリ:カテゴリ未分類
この前、真中に「檄」と書いた寄せ書きの布を見て、職場の知り合いが言いました。
「あれは何と読むの?」 「げきに決まっているじゃない。檄文とかいうでしょ。」 「知らない。」 「檄を飛ばす、ともいうじゃない。」 「あれは激と書くんじゃなかったけ。」 「うっ…。いや、これでいいんだよ。たぶん…。」 というわけで調べてみました。 「闇黒日記」からです。 詳しくはお読みください。 結論的には私が正しかったのですが、 職場で目標がいっていない部下たちに対して上司が「檄を飛ばす」という用法がはたして正しいかどうかは、広辞苑第五版と新明解国語辞典では見解が正反対に分かれているということが判明しました。 広辞苑を「日和見」だといっていいのか。「柔軟」だといっていいのか。 「闇黒日記」氏は前者ですが、私は果たして後者です。 さて、「檄」の本来の意味はこのページによると、 1.ふれぶみ。 めしぶみ。まわしぶみ。昔、役所から人民を呼び集めるために出した木札の文書。 皆に知らせるために出す回状や通信。 2.敵の悪い点を書き、味方の正しい点を人に知らせる文書。 だそうです。 昔は木札になったから、木編になったのでしょう。 現在ならHPでしょうか。 こういう「檄」があります。市民サミットむ2008の宣言です。まさしく檄文です。ぜひとも皆に知らせたい。 札幌宣言 ~世界の貧困をなくすための市民の声~ Sapporo Declaration: Global Voices to End Poverty さわりだけ載せます。 私たちの生きる世界は不公正な世界である。わずか2%の最も裕福な人びとが世界の富の半分を享受する一方で、貧しい側の半分の人びとが世界の1%の富を分け合う世界。10億以上の人びとが今なお、1日1ドル未満で生きざるを得ない世界。食べ物はあるのに、人々が飢えている世界。薬はあるのに、予防・治療が可能な原因で人々の命が奪われる世界。資金はあるのに、人々が、とりわけ周縁化された人々が、貧困によって死にゆく世界。これが私たちの生きる世界である。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
|
|