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カテゴリ:08読書(フィクション)
師走の風のなか、三万人以上の首切り(厚生省調べ)の世を歩いていると、同じように感じる人が多いのか、薔薇豪城さんもあの人のことを書いている。
自意識 自意識が大きくなると、「あたかも炎症を起こしているかのように腫れあがっており、今や風に当たっても痛いという「自意識の痛風」に陥って」行くと言う。元厚労相幹部を殺してしまった小泉某もその類だと言うのである。 私のいうあの人とは小泉某のことではなく、ましてや小泉躁のことでもなく、同じく自意識過剰気味の知識人夏目漱石のことでもなく、やはりおおきく自意識過剰気味のところもあった石川啄木のことである。 このまえ、石川啄木の「一握の砂」を買った。初版本の体裁(四首見開き)で作り直した文庫オリジナルである。 一握の砂 この歌集に恋愛の典型を見る人もいるかもしれない。けれども、私は今回読んでみて、石川某は一歩間違えれば、小泉某や加藤某になったかもやと思った。もちろん、かれは自分の感情をみごとな三行詩にまとめる力がある。その前で止まることは出来ただろうと思う。そして結核症による全身衰弱で石川啄木はは26歳で死んでしまう。その点ではまさに格差と貧困の犠牲者でもあった。 次に紹介する詩を書き写しながら、現代に甦る青年を見た気がする。 こころよく 我にはたらく仕事あれ それを仕遂げて死なむと思ふ こみ合える電車の隅に ちぢこまる ゆふべゆふべの我のいとしさ 浅草の夜のにぎはひに まぎれ入り まぎれ出で来しさびしき心 いつも遇ふ電車の中の小男の 稜(かど)ある眼 このごろ気になる 鏡屋の前に来て ふと驚きぬ 見すぼらしげに歩むものかも こころよく 人を讃めてみたくなりにけり 利己の心に倦めるさびしさ 大いなる彼の身体が 憎かりき その前にゆきて物を言ふ時 「彼」とは東京朝日新聞主筆、池辺三山。会社の上司である。 気の変わる人に仕えて つくづくと わが世がいやになりにけるかな つかれたる牛のよだれは たらたらと 千万年も尽きざるごとし 一度でも我に頭下げさせし 人みな死ねと いのりてしこと あまりある才を抱きて 妻のため おもひわずらふ友をかなしむ たぶんこれは自分のことだろう。 打ち明けて語りて 何か損をせしごとく思ひて 友と別れぬ どんよりと くもれる空を見ていしに 人を殺したくなりにけるかな はたらけど はたらけど猶わが生活(くらし)楽にならざり ぢつと手を見る この次の休日(やすみ)に1日寝てみむと 思ひすごしぬ 三年(みとせ)このかた 友がみなわれよりえらく見ゆる日よ 花を買ひ来て 妻としたしむ なにかひとつ不思議を示し 人みなおどろくひまに 消えむと思ふ わが抱く思想はすべて 金なきに因するごとし 秋の風吹く どうだろうか。なんか無差別殺傷事件を起こした者の遺した歌に見えないだろうか。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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