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カテゴリ:韓国旅行(09~)
そのあとやっと池山洞古墳群に登った。遠くから見れば、登山のような苦労を思い浮かべていたのだが、登ってみればなんと10分少々で第一の古墳にたどり着くなど、案外近くであった。 ただし、私は土器が落ちていないか、登りルートから外れた道を登っていったので、ずいぶんと時間がかかった。 二人組の男の人から何か声をかけられたので、 「疲れました!」と返した。 私の変な登り方を聞かれたと思ったので、 「土器を探しています。ありません」と言うと、 「日本人ですね !」と言って握手を求めてきた。 うーむ、この握手の意味はやはり「日本人がふるさとをわざわざ訪ねてきた」ということなのか。もっと話しかけられるかと思いきや、彼はすたすたと登って行った。この写真の古墳の真ん中の頂上に豆粒のような二人が見えないだろうか。それがその2人である。 これが44号墳である。一度発掘調査済みなので、この墳土は後で盛ったものであるが、実際よりは大きくなっているという。 私はそういうことは軽々しくしてはいけないと思う。たとえば、私のようにこの古墳の上に登って当時のひと達の気持を推し量ろうとするものがいる。もちろんこの上で神事をしたわけではないので、この高さが大きく問題ではないかもしれないが、この高さからやっと母なる川の洛東江が見える。川が見えるか見えないかは、場所の選定に左右されたのか否か、重要な情報だと思うのです。 標高300mの山の上の稜線に延々と作られたこの古墳は、思うに韓国古墳群の中でも一番の景観を持つだろうと思う。 古墳に上りながら疑問に思ったことは四つほどあって、博物館に戻って質問したのであるが、メモがなくなった。省略する。いつの間にやら、三時を過ぎていた。博物館の人に近くの名物料理を聞く。いつもクッ(汁)やタン(湯)の付く料理ばかりなので、それとは違う料理がないかと聞く。するとホンチョントッペギという店を教えてくれた。お礼を言って辞す。実は博物館の横を発掘していた。立ち入り禁止の看板を乗り越えて入ってみる。日本と同じようにビニールシートを張って保存している。土器は見つかりませんでした。(^^;) 店は、歩いて10分ぐらいのところにあった。料理(トッペギ)は結局カルビタンとほとんど変わらない骨付き牛肉の汁でした。面白いのは、ここでもやはり副食(パンチャン)に玉ねぎと青唐辛子が出てきたということ。ここの食文化は伽耶の文化だという確信を深める。 この店は道の中一面いろんな形の色模様が付いた石ばっかり置いている。なるほど、博物館の人が好みそうな店です。 「この石は拾ったのですか」 「そうです」 びっくりです。 帰りのバスから洛東江が見えました。この川が金海も通るし、釜山も通る。そしてはるか倭の国まで通じる大動脈になったというわけです。 これでしばらくは考古学の旅もおしまいです。後、考古学関係は主には扶余に行ったときだけになる。だから慶尚南道地域の古代めぐりはこれでおしまいということになる。それぞれの遺跡は事前知識は全くなく、行き当たりばったりで行ったのではあるが、それぞれは非常に貴重な体験が出来て、有益な旅であった。 大邸に戻り、地下鉄で東大邸まで行き、そこから17:40発のソウル行き高速バス乗ることができた。ソウル高速バスセンターに着いたのが、21:20分。バスセンターの周りを少し歩いてみて、宿を探したけど、ひとつもないのです。想定外。そうか、ソウルは地代が高いから、バスターミナルといえども、街の中心街にはモーテルはやっていけないのだ。仕方なく、先ずは地下鉄の駅で夕食。ハルモニククスという店で豚丼(チェユクトッパン)です。うん、新しい味です。独りお食事で安くて美味い店、探せばあるじゃん。 仕方なく、いつものお宿、大元(テォン)旅館をめざす。着いたのが、夜の10:30。どうかな、とおもったのだが、やはり予約なしでは一人部屋はなかった。ドミトリーならばあるということで、そこに泊まり、明日は部屋に入ることにした。さあ、これからはしばらくはソウル暮らしです。 コインロッカー1,000 栗とジュース1,300 地下鉄(3回乗車)3300大邸←→高麗5,600 タクシー4,000 博物館2,000 昼食5,000 大邸→ソウル24,100 夕食4,500 大元旅館19,000 計 69,800W 歩数 16,769歩 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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