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カテゴリ:考古学
あけましておめでとうございます(^^;)。出雲国の旅レポートもやっと三日目に入り、年を越えることができました。こんなに遅くなったのは、写真の整理がなかなかできないのです。おそらく5回に分けて紹介します。
2016年 元旦 (晴) 温泉宿なので、朝風呂に入って部屋に戻るとちょうど窓から東の山々から初日の出が見え始めていた。 期待していなかった分、嬉しかった。ただ嬉しくていま気がついたのだけど、何のお願いもしていなかった。 朝食。年末年始のホテル。期待通り、おせち料理が出た。特に雑煮は期待通り、「出雲の雑煮」だった。出雲の雑煮は雑煮ではないのである。基本は、こんな青菜も出ないはずだ。なんと餅だけが出てくるのである。あとでホテルマンに聴くと、出雲地方はこうなっているらしい。西の方に行けば、これに「あずき」が入る所もあるらしい。 雑煮の横に食べ方の説明書があって、「腕の中から先ず青菜を採って、それを食べ残して、菜(名)をあげ、名を残す」或いは青菜を高く引き上げて「名を高める」というのもあるらしい。 ホテルで餅つきもしていた。あまりにも水分多くて伸び切っている。甘酒だけもらってチェックアウト出発。 県立古代出雲歴史博物館に再びやってきた。朝の9時にきたらなんとか遠くの駐車場に停めることが出来た。もちろん、無料開放だからだし、新たに「出雲に米作りが伝わった」展の写真を撮り直すために来たのである。 以下要らない説明は省き、学術的な説明は写真のプレートに任せたい。出来るだけ多くの写真を載せる。気がついた所だけコメントする。かなり重たいページになったかもしれないが、ご容赦願いたい。 「縄文土器 有文浅鉢」 北原本郷遺跡(雲南市)縄文時代後期(4000年前) この羽状文を拡大したのは、模様の描く順番が、よく見るとわかるからである。四本の線をヘラか棒切か、細い石先でぐるっと描いたあとに、おそらく下の方から羽状の模様を勢いよく描いている。上に行くと勢いもなくなりなんとなくなおざりに思える。昔には、この模様にも意味はあったのかもしれないが、この時には既に機械的な作業になっていたのかもしれないし、この土器を作った女性(?)の性格なのかもしれない。そんなこんなを「実物」を仔細に眺めることで想像することができる。遺物のひとつひとつはいろんな情報を持っているのである。私が博物館フェチたる所以である。まだまだ展示品はありますが、ここでいったん切ります。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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