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カテゴリ:考古学
「出雲に米づくりが伝わった」展シリーズの最後。正直、島根の遺物を真剣に観たのはこれが初めて。弥生時代では鳥取の妻木晩田や青谷上寺地が一番すごいと思っていたのですが、この出雲があってこその山陰の弥生時代なのだと考えを変えました。それではもうしばらくお付き合いください。
分銅型土製品の一般的な説明は、写真にあるとおり。この展示品だけなのかどうかはわからないのだが、模様が極端に少ない。吉備のは、人の顔まで描いているのが多いのである。しかし、形は極めて似ているし、丁寧に磨いているのも、同じである。よって、この祭りの発生は吉備で間違いないと思うが、吉備からやって来た女の子が広めた可能性がある。家の中の、成長を願う祭りだったのかもしれない。 第四章です。 そうか、棒切れではなくて、貝殻で描いていたんだ! なんと、そのあと行った稲佐の浜で同じ貝を拾っていました。日常的な貝だったんですね。 なんと、特殊器台、特殊壺が四隅突出墓ではなく、川の中からまとまって出土していた。吉備でも例のない出土の仕方である。吉備のそれを模倣したらしいが、「水辺の祭りに使ったのでは」と書いている。だとすると、特殊器台の祭の「効用」は、五穀豊穣なのか、それとも治水なのか。ともかく非常に興味深い。 以上、弥生時代の後期。出雲地域は間違いなく日本列島の先進地域だった。それを外観する展示を見ることが出来てとても有益だった。非常に充実した展示なのに、なぜか図録がない。おかげで写真は取り放題だったのは良かったのではあるが、なぜだったのか。おそらく、いずれ本格的に「出雲の弥生時代」をやるのだろう。そのときは見逃したくないなあ、と思う。 出雲は「ぜんざい」発祥の地らしい。博物館内のカフェで、○○食限定と銘打って販売していて、ついとびついた。おいしゅうございました。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2016年04月04日 22時54分19秒
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