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テーマ:ニュース(100072)
カテゴリ:社会時評
この間の「新型コロナの科学」という書評を、ほかのサイトでも書いたところ、 ある方からこういうコメントを頂いた。「私は科学に惑わされない。時には勘に頼ったほうがいい」この方はほかのところで「科学とは擬似宗教だ」とも書いていた。 また、ほかの方から、外岡秀俊さんのブログを教えてくれて「科学報道の落とし穴」という論文を紹介された。それを私はみて、「長々と当たり前の事を書いている」から「信頼する人」に「私の中には入らない」と返事したら、気を悪くされたのか、ほかの科学論文を紹介してきた。それを読んで、私は以下の長い説明を書いた。ちなみに、一応誤解は解けたようです。とりあえず、私のコロナ情報に対する態度が、ここに書いているので、紹介するということです。 ◯◯さん もし、◯◯さんの紹介した言論人を「私が人格否定した」ととったと思ったのならば、誤解を与えてしまいすみません。 私は書いたように、外岡さんの主張を「間違っている」と書いたわけではありません。罵詈雑言も投げてはいないと思っています。むしろ正しいことを長々と書いていると表現し、その書き方が気に食わない、だから「私が信頼する」候補にはあげないと書いたのです。(今気がつきましたが、「一般的に信頼できない人」と言ったつもりではありません) この度紹介してくれているサイト含めて、コロナに関しては日々いろんなところから情報発信されていて、玉石混交です。政府機関も、全く当てになりません。むしろ、政府機関が当てにならないところが、物事を複雑にしています。 私のように、日々コロナ情報を追うこと叶わない人間にとって、web情報やテレビ情報、雑誌情報はあまりにも情報が雑多になり過ぎて避けるべきだと「私は」判断しています(無視しても、ある程度は入ってくる。囚われないということです)。出来るだけ一冊の書物を読むだけにしたい。その一冊を私は「新型コロナの科学」に定めたのです。「本書に全幅の信頼を置く」と書いたのはそういうわけです。決して1人しか信頼しないわけではないのですが、そう軽々に「信頼する人」を決めたくなかったのです。 科学的な根拠を持って情勢を見ること自体は、とても大切だと思います。情報過多だから勘に頼る。或いは宗教を頼りにする、という方向には行きたくないと「私は」思っています。それは宗教が間違っていると言っているのではありません。これは私の「信条」だからです。若い頃から、唯心論ではなく、唯物論の立場に立つと、私は自分の信条を決めています。「神の不在は証明できない」のだから、宗教を否定することはできない。けれども、私は科学の力を信じることに「賭けた」のです。それは「科学を宗教にしていることと同じだよね」ということではありません。時々かなり厳しい判断をしますが、私は自身の責任で未来に賭けているのです。言うなれば、須藤凛々花と同じような決心です(^ ^;)。話がずれました‥‥。 山中伸弥さんの主張は世界基準である。 黒木登志夫さんの本書の内容も世界基準である。 この1年間のコロナ情報に接していて、私はそう思いました。(例えば、台湾やニュージーランド、ドイツの指導者を高く評価して、日本やトランプ、スェーデンを評価しない態度、PCR検査を拡充することが感染防止の基本であるということ)それらを見ながら、私はこの本を「基準」にしたいと思っています。もちろん、間違っていることも書いているかもしれない。でもそれは後で検証する姿勢が本書にはある。科学的な態度とは、そういうことです。 せっかくのおすすめしてくれたサイトなので、ざっとは読みましたが、そういうわけで「信頼する」候補には入りません。 ぐだぐだと長々とすみませんでした。 このように、万が一間違っていないことだとしても、 ぐだぐだと長々と読まされると、嫌になるものです。「わかりやすく書いている」もうそれだけで、その人の基準はかなり高い方だと私は思います。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2021年02月27日 12時28分28秒
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