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カテゴリ:政治
2012年末の総選挙に突入するタイミングでこちらは大雪に見舞われていた。
確かに年間降雪量は6mになる我が街のそれも雪の多い地域に居住しているから、冬支度はそれなりに終えていたが、いつもなら降っては融け融けては凍りその上にまた降り、いつの間にか根雪になっているというのとは訳が違った。 公示が12月3日、実はこの前から非常に寒い日が続いていて街なかもそして郊外のここも雪が積もっていた。 例年ならまだ街なかまでは雪が積もるまではゆかないような時点での雪かきが始まっていて、まさかこんなに積もってしまうとはと道産子で子供の頃から雪かきに慣れている私でさえちょっと経験したことがない冬だった。 公示日第一声はそこに雨が降り足元が悪すぎて行けずじまい、だから本番の街頭を見聞きしようと必死にスケジュールを取得しようとしていた。 当時はまだネット選挙運動開始前だから通常はこちらから出向いてスケジュールを教えてもらうか党幹部が来る予定を知る他ない。 だが居住区の自民党幹部の方を知っていた事である程度連絡が頂けていた。 後援会にも入らずにいる者にこうしたお知らせをして下さるのはありがたいことで、おまけに毎日雪かきに追われているからこちらも出られるかどうか予定も立たないからつまり当てにはならない者にも教えてくださるのはきめ細かく地域の網があるからだと理解もでき感謝もしている。 本格的に候補者の選挙街頭演説を聞いたのは朝8時の一番近い場所においでになった時で、この時は吹雪のなか30分近く雪だるまになって演説を聞いていたのは関係者以外は私ともう一人候補者出身地ナンバーを付けた車から降りてきた方だけだった。 次は偶然の遭遇で、やや離れた場所に雪をかき分け母とようやく買い物に出た時で、遠くから宣車の音はしていたが雪道の年寄り連れではとてもじゃないがこちらからは近づけず、もし視界に入ったらいつも持って交通機関などで広げて読んでいた自民党パンフを振ろうとカバンから出しているタイミングでその横道を通り過ぎた…と思ったら市議と候補者が降りて来てびっくりしたということもあった。 何せ雪かきが毎日何度もあり、おまけに寒い。 これの合間に何とかして街頭に行こうとするのだが本当に埋もれてしまっていて、個人演説会が徒歩圏であった時も階段や門内の雪かきはあとに回して出かけたが、それはご近所どこも事情は同じでおそらく予定の半分ほどしか集まらなかったのではないかと思ってもいる。 街なかに総裁が来るという時には生憎の猛吹雪、おまけに土壇場になって飛行機が飛ばないのではないかというほど酷くなり、結局総裁は来ないまま地元議員のリレー演説だったけれど中途で帰る人もなく立ち止まって話を聞く人がどんどん増え、増えただけじゃなくこれまでにない若い年齢層もじっと真っ白になって話を聞いていた。 これを見てひょっとしたらいいところに行くかなという感触は持った。 ただ正直言って居住選挙区の小選挙区勝利は願っていたがそれはかなり厳しいかなと踏んでいたのも事実で、だからこそ交通機関の行き帰りなどではパンフレットを広げ読んだりもしていた。 足しになるとは到底思えないが、しかしそれが年寄りと同居し雪かきに追われている日常でできる精一杯でもあった。 総選挙で勝った時はようやく取り返してくれたと思ったが、しかし結果の差ほどの実感はなく、北海道で全勝したというのも正直ほんとかねと居住選挙区の数字を何度も見返した。 忌避の忌避による勝利だとしたらこれはよほど頑張らないと捻れのある参院選を翌年控えているだけに一層危惧していた。 しかし組閣から閣僚記者会見などを見ているうちに日本を取り返した実感が出てきたのも事実で、それは躍り上がって嬉しいというよりももっとしみじみしたもので、事実上野党の時しか知らない私にさえ3年半の出来事が次々に思い起こされた。 年が明け2013年になった。 しかし雪との戦いは連日続き、雪の止み間には屋根の雪下ろしテラスの雪片付けなど本当に休む暇がなく、そういう時に有難かったのはネット動画であった。 身動きが取れず、毎日疲労困憊している中でも自民党公式サイトの新しい動画や総選挙での風景アーカイブなどを眺めていると孤立感が癒される。 各地の模様や東京最終演説などを眺めて春を待った。 春も遅かった。 3月半ばに党大会に行ったけれど、真っ白に埋もれた我が家からいざ東京に着いてみると日当たりのいい場所では桜が咲き、桜だけじゃない花々が咲き草や樹の緑が陽光に照り返していてこれは本当に違う国だなと思った。 早い時には3月も末になれば雪割りを始められるものが4月になり、それも連日ずっしりと重くなった半ば氷を割り、少しずつ日の当たるところに出してそれを半月繰り返した。 もう腰が限界だという時になってようやく雪割りが終わった。 その時にはすでに各地参院選の準備、つまり参院比例区候補選挙区候補が徐々に出始めていたのだが、我が北海道は相変わらず決定が遅くここでも少々意見を書いたことがある。 とはいっても決定した以上、私は参加した時に腹を括ったわけでネット選挙運動も開始することもあり6月にまた会合で東京に行った。 忙しい時間を割いてくださった新藤大臣、平井議員、木原稔議員、そして自民党広報本部に心から感謝している。 こうしてネット選挙運動の準備をしつつ参院選を待った。 とは言っても事務所開きに顔出しした時に感じたのだが、野党の時とは段違いな人手があった。 たまたまタイミングよく証紙貼りや貼ったポスター、チラシ纏めに参加でき出陣式に間に合っただけのようなもので、後はアレルギーと相談しての選挙戦になった。 雪が多い年は暑いというがまさに7月は連日暑く、日焼け止めを二重に塗った顔はともかく塗り方のぞんざいだった足の甲や膝、腕などは湿疹と日焼けで見るも無残なことになったけれど結果は捻れを解消した。 これで本当に最初J-NSCに参加した時に宣言した「忌憚のない意見を述べられる」ようになったのが心から嬉しい。 ここで末尾ながら忌憚のない意見を少し言えば何が怖いといって自民党内部からの軋轢や不協和音がこれまでの何倍も外に響くということだ。 有権者の多くは忌避の忌避の結果自民党を選択したのは間違いなく、私にしてもどう見ても国政を委ねられるのが自民党しかないから支持しているわけで、これでまた一体どちらを向いているのか判らない党内抗争でも始められたら一体どうすりゃいいんだと、これは老婆心かもしれないがこれまで何度もあったことだから改めて気をつけていただきたい。 本当に政権奪還が目的ではなく手段であったのだと証明できてこそ有権者と共に日本を取り戻すつもりなのだなと判るから。 これだけの大国になれば一度傾いたものを戻すには大きな労力とそして政治家だけに全部放り投げない国民有権者の当事者意識も求められる。 だから他人事じゃあない自分のこととしてこれからも見続けていきたいと思っている。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2013.07.25 12:21:17
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