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2017/02/27
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テーマ:タイ
カテゴリ:タイ旅行記
ラマ2世期に築かれたラーチャブリー城壁をこの目で見られて
満足した私は、城門を通った道をさらに北へと歩いて行きます。



奥に見えてきましたよ。
さらに歩くと、



ラーチャブリー県柱廟です。

県柱ラックムアン)とは、かつてムアン(たいていが城壁で囲まれた町)を
新たに建設する際に、まずその中心や縁起の良い場所に建てた柱のことです。

バラモン教の影響ですが、家を建てる時にまず柱を建てることに倣った
風習のようですね。

ここの県柱は、ラマ2世がラーチャブリーの町を対岸から移転させた際の
1817年に建てられました。それから城壁や町を整備したのだそうで。


かつてのムアンが現在では各県の中心部になっていることが多いことから
「県柱」と訳しましたが、県になれず他の県に組み込まれたムアンにも
ラックムアンが残っているところがあります。
そのため例えばプーケット県には4つもラックムアンがあったり。



軍の敷地内なので商業施設はお供え物の売店以外皆無にもかかわらず
人がひっきりなしにやって来ます。それだけご利益があって信仰されている
存在ということなんですね。

内部を覗きましょう。



県柱(ラックムアン)が金箔をびっしり貼られた姿で
建っています。

県柱というと、柱の下には人柱が埋まっているという話をよく聞きますよね。
確かにいくつかの県の県柱にはそのような伝承が言い伝えられています。

バンコク都のラックムアンもにも4人の男性が生き埋めにされたという話を
聞いたことのある方も多いかもしれませんね。

バンコクはラマ1世期(1782年)とラマ4世期(1852年)の
2本のラックムアンがあり、いずれの際も儀式の詳細な手順を記した文書が
残されていますが、そこには四方から集めた石と護符の石版を穴に入れてから
柱を建てたとしか記述がないんです。

他の県のものも人を埋めたという公式記録が残っているところはありません。
プーケット県史に妊婦を埋めたとの伝承が記載されてはいますが。
単なる言い伝えだけであってほしいものですね ^_^;)


そもそもラックムアンを建てる風習はいつからタイにあったんでしょう?
ちょこっと調べてみました。

13世紀のスコータイ朝時代から続く風習との記述を見かけます。
でもバラモン教自体は当時すでに伝わっていたものの、
ラックムアンに関しては書物でも物的な面でも明確な証拠はないようです。

国内最古とされているペッチャブーン県のラックムアンは石碑で、
1021年にクメール文字で記されたサンスクリット語の「シヴァ神を讃える内容」と、
1516年にクメール文字で記されたタイ・パーリ・クメール語の「仏教に関する内容」
という2つの時代に文字が刻まれているのですが、元々は県内のお寺に建っていたもの。
それを1900年に移設してラックムアンとしたんです。


じゃあスコータイ県のラックムアンは?

かのスコータイ遺跡の中にあるんですが、ラマ6世期の1907年の遺跡調査で、
四方の柱に囲まれた遺跡の中心の穴から不鮮明な模様が書かれた石版を発見。
ゆえにここにスコータイのラックムアンがあったと推定されたことから
現在、スコータイ県のラックムアンになっています。


うーん、それじゃアユタヤ県のラックムアンはどうだ!?

アユタヤ王朝年代記には初代王ラーマティボディー1世が1350年にアユタヤを
建設したと記されていますが、ラックムアンを建てた具体的な記述はありません。

1767年にビルマの攻撃で陥落した後ずっとアユタヤにラックムアンは無し。
1982年になってラタナコーシン朝創始200年記念行事として
現在のラックムアンが建てられたのです。


ここまで見た限りでは、現チャックリー朝(ラタナコーシン朝)が始まった
18世紀後半以降に建てられたものばかりなんですよ。
でも全ての県のラックムアンを調べたわけではないですし、
証拠がないだけでスコータイ朝時代から本当にラックムアンの風習が
あったのかもしれませんよね。


さてさて、そんなラックムアンの参拝を済ませたので、
また対岸に戻りましょう~。



近くには軍の詰所が。
สห というのは「憲兵」の略称。
おぉ、なんだか怖いのでさっさと去ることにします ^_^;)

西側に出て国鉄線路に沿った道をメークローン川へ向けて歩いていると、
左手に



わかりますでしょうか?
新しい壁の裏側にぴったり張り付いてレンガの壁が続いているのが。

これ、さっき見た城壁の続きなんです。
で、ここで終わっています。西端ってことですね。

この先はというと、



道を挟んだ向かいに国鉄南線の盛り土が。
今見た城壁は南側城壁で、西側城壁はたぶんあの盛り土の場所にあったのでは?
ラマ5世期の国鉄線路建設で取り壊されたんじゃないかな。そんな気がします。



で、そのラマ5世のお名前が冠されたチュラロンコン橋を再び渡り対岸へ。
見どころは見尽くしたので帰ることにしまーす。

最初の歩道橋を渡ったその下にバンコク行きロッ・トゥー乗り場が
あるんです。他にメークローン川沿いのラーチャブリー国立博物館近くにも
ありますが、こっちの業者が私は一番好き。



お姉さんからチケットを購入して待ちます。
すると何分と経たずに



ロッ・トゥーが現れました。
なんとラッキーな!

時刻は、13:12。

車内で爆睡しているうちに1時間ほどでバンコクの南バスターミナル前を
高架道路で通過。でも2016年10月25日から乗り場が強制移転になった今では、
このロッ・トゥー路線も南バスターミナルが終点なんでしょうけど…。

この時はまだ移転前だったので、



戦勝記念塔近くのセンチュリーに戻ってきました。
時刻は、15:14。

これにて今回の旅も完結です。

水瓶ケーキ(ケーク・オーン)を食べることが目的だった今回の旅ですが、
歩いて見聞きしているうちに予想以上にディープな旅になっていました(笑)
最後までお付き合いいただきありがとうございました!

次回は、バンコクの西はずれにあるミュージアムを訪ねる旅をお届けします!


<旅費交通費>
ロッ・トゥー:100バーツ
ここまでの合計:210バーツ

<参考>
『タイ事典 』,日本タイ学会,めこん,2009年
เที่ยวราชบุรี.com "ศาลเจ้าพ่อหลักเมืองราชบุรี"
สารคดี "พิธีฝังคนทั้งเป็นในหลุมหลักเมือง"
MGR Online "ศาลหลักเมือง” ความศักดิ์สิทธิ์ในความแตกต่าง"
เรื่องเล่าชาวเมืองสยาม "เรื่องเล่าเสาหลักเมือง"
ペッチャブーン県文化評議会議長ウィソン氏facebook "เสาหลักเมืองเพชรบูรณ์ ศรัทธาและคุณค่าทางประวัติศาสตร์ !!"

※旅は2016年5月28日(土)に行いました。

おわり

※当ブログから1日旅の記事だけを抜粋し見やすくまとめたブログ
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そちらのブログは左側の「旅ごとに見る」欄で旅名を選ぶと順を追ってお読みいただけます。
旅の参考になれば幸いです。




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最終更新日  2017/02/27 08:04:02 AM
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