重忠公ゆかりの地をめぐる その2「満福寺と井椋神社」
みなさん、こんにちはケイですじりじりと暑くなってまいりましたねさて、今回は、前回(5月15日)から引き続き、畠山重忠公ゆかりの地をご紹介します。今回は、重忠公ゆかりのお寺と神社に行ってまいりました。まず、「満福寺」です場所はこちら。立派な門と…その近くにあったお地蔵さん(?)です。お、なんと郷土かるたが2つも看板もありました。満福寺は真言宗のお寺で、深谷市指定文化財の板石塔婆(阿弥陀三尊の立像が線刻されています)や、徳川家光寺領寄進朱印状などが残されているそうです。畠山重忠公が寿永3年(1184)に再興したと伝えられている由緒あるお寺ですこちらは「重忠廟」と書いてある碑です。もともと、この場所には、重忠公の供養塔があったそうです。元久2年(1205)に、重忠公が二俣川で討ち死にするのですが、その後、満福寺に供養塔が建てられました。その供養塔も、500年経って朽ち果ててしまい、江戸時代の宝暦13年(1763)に再建されます。明治になって、その供養塔は畠山館跡に移されたと伝えられています。この写真は満福寺の観音堂です。観音堂には重忠公の守護仏と伝わる千手観音立像が安置されているそうです。さて、満福寺から少し歩くと、神社があります。この神社は井椋神社で、重忠公の曽祖父、秩父重綱が勧請(神仏の分身・分霊を他の地に移して祭ること)したとされています。井椋神社の裏手には、以前にきのっぴ☆先輩の記事で紹介されていた「鶯の瀬」があります。深谷市の川本地区を散歩される際には、満福寺と井椋神社、そして鶯の瀬に立ち寄ってみてくださいねでは、また