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カテゴリ:BATON & OPINION
ブログでの発表の限界。使えない言葉達。
しかしそれでも吐露、 あるいは示唆、しておきたい事柄いくつかの覚え書き。 検証中個人メモと、全く自分のための非公開日記への走り書き。 (つまりはコメント無用ですが、ご教示いただけるのは大歓迎ということで。) 決して捨てることのないよう、いずれコーさんにもらっていただきたい愛読書3冊。 ■「魔神の海」前川康男著 :講談社少年少女現代創作文学8(S45/5/15第2刷) ■「北海道の農業」西村正一:北海道新聞社(S62/2/28) ■「備前物語」・・・愛読書という割には・・みつからない(苦笑) 特に、「魔神の海」。 私のすべての考察はここから。 この本が出版された1969年時点でさえ、なお、手直しされながらも廃止されずに残されて運用されていた旧「北海道土人保護法」・・・保護としながら、「日本人」入植者との著しい処遇格差(実に数百倍以上)を実現させた、徹底搾取の法律。 1789年=寛政元年(江戸中期、天明の大飢饉直後:フランス革命の年) 「クナシリ=メナシの乱」商人:飛騨屋(場所請負人)らの暴力的搾取に対するアイヌの蜂起で71名の和人が殺害され、松前藩はアイヌの実行責任者セツハヤアイノ等を含む37名を処刑。 この71(後に72?)名の犠牲者の石碑が後年、偶然漁師の網にかかることにより海底から引きあげられて、現在は根室の国後等を臨む場所に安置。(但し碑文にある「この地」はクナシリ=キナシリのこと) 組織的なアイヌ蜂起の最後となったこの事件は、幕府の松前藩への不信につながり、 1799年、蝦夷地は幕府の直轄領となる。 が、この事件の1789年時点でもまだまだ分け入ることが困難な、標津内陸部(現在の別海・標茶寄り)について触れた文献は殆んど見当たらない。 江戸末期については、別海の噂の「加賀家文書」、公開は平成10年。海沿いの記録ではあるだろうが、興味津々。 1802年蝦夷奉行創置(のち箱館奉行と改称)、 1807年西蝦夷地の幕府直轄領 1821年松前藩の再興、東西蝦夷地を再び松前氏に返還→場所請負制が復活 1822年日露和親条約締結に伴い、再々度、蝦夷地を幕府直轄領とする。 1853年日露会談。ここで、対ロシア政策上、アイヌを「日本人」であるとし、千島列島を 「日本固有の領土」と位置づける。 1854年箱館奉行設置 ・・・松浦武四郎と親交が深かった秋田出身の加賀伝蔵が残したとされる「加賀家文書」はこのあたりか? 1868年(明治元年)蝦夷地→北海道(命名者:松浦武四郎) 1869年(明治2年)場所請け負制度の廃止 この年にアイヌに大変慕われていた松浦武四郎が、明治政府の北海道開拓使において「開拓判官」になりながら、わずか1年で辞職した理由は? 明治以後日本はアイヌの同化政策(被差別皇民化)の道をひた走る。 1878年(明治11年)・・・旧「北海道土人保護法」「住居の地所」を「官有地に編入」 (明治12年の別海の東京府への編入の経緯との関連。この処置に判官の職を賭して反対したとされる松下十郎とは?) 1878年に東北・北海道を訪れた初めてのヨーロッパ女性、イギリス人にして「日本奥地紀行」の著者、イザベラ・バードが絶賛するアイヌ文化。 家屋はポリネシア人のそれに似ていると言い、容姿はエスキモー人に似ていると語っている。 またある一人については、純粋なアイヌには見えず、髪も髭もところどころ金褐色に輝いていると語る。この人物についてはさらに 「高貴で悲しげな、うっとりと夢見るような、柔和で知的な顔つき」 「サー・ノエル・パトンの描くキリスト像の顔に似ている。彼の態度はきわめて上品で・・略・・」と、それまで彼女が語る「日本人」の無礼さ・野蛮さ・不潔さに関する記述との大きな違いに驚かされるが、率直な感想であろうことは疑う余地無し。。。 白老近辺のアイヌについては特にこのような賛辞が多い。 この本の中で一際私の注意をひいたのは、アイヌによって密かに守られている日本式神社と義経崇拝。 イザベラ女史はさらに日本人の馬に対する扱いの極悪非道振りを激しく嘆き、怒りの余り、非難する言葉(単語)の意を問う通訳兼の日本人助手:伊藤に「デヴィルより悪いという意味」と、異訳。 別海の駅逓は1910年(明治43年)の開設だから、イザベラ奥地紀行の30年以上後のこと。 1951年サンフランシスコ条約において、日本は千島列島を放棄。 1956年・・・圧制の元に「同化」させたアイヌ民族を「日本国民」として、いわゆる「北方領土」を、かつて日本国民が居住していた「日本固有の領土」と位置付けた「返せ!北方領土」外交は、どうにもスッキリとしない。 飛躍:飛騨屋請負人の万蔵と重なってイメージされるムムム某。 ダムに沈んだ民族の聖地、二風谷。 ダムに沈んでしまった後の、アイヌ地主の裁判勝訴。 今さらながらに「返す」と言われたアイヌ民族の新たな苦悩。 誰が為に鐘は鳴るやと問うなかれ、などと、日本人は決して言えない。 アイヌ文化史と中央政府の植民地政策にも似た北海道開拓史。 これは切り離して語ることはできないが、一緒くたにしてもならない。 [生活・趣味]ランキングに登録しています ここをクリックで1票です どうぞ宜しくお願いしますm(_ _)m お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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アイヌのお話は、学校で習ったような気がするけど・・・
私が、ほとんどと言っていいほど知らない事だらけ。 歴史があるんですねぇ・・・深い!! こういう詳しい話は授業では、なかなか知る事が出来ませんね。 北海道開拓史かぁφ(..)メモメモ 話が戻ってスミマセン 術後、1年も風邪厳禁にビックリーーーーッ?! 膝はどうなんだろう・・・ こないだの術前説明の時には「感染症の恐れはある」 って言われたけど、感染症ってなんだっけ?? まぁ、膝の手術も何度もやってるから♪♪って あんまり気にも とめなかったけど そういう事なのかも( ̄ー ̄;) 術後1年とかは何も言われなかったから、ちょっと違うのかな。 しかし、股関節の手術っていうのは本当に大変なのですね。 今回の私の手術は、右足治らずのまま左膝なのでヾ(´ε`;)ゝ 思うに軸足が右での松葉杖での生活は無理だと思うんだよねぇ(笑) ちょっと不安になってきた(苦笑)もう考えてもしょうがない! とにかく 風邪には気をつけますね。ありがとう!! (2006/05/19 01:36:04 AM)
東北も中央から侵略され続けた歴史を持ちますので、感じるところは色々あります・・・で、謹んで読ませていただきました。
・・・・の言葉で、留めておきとうございます。 (2006/05/19 01:14:40 PM)
難しいお話し・・・。
でもアイヌの方の歴史などはとても興味があります。 職業柄、音楽文化が特に! 研究してる方はいらっしゃるんですけどね。 なかなか限界があるみたいで・・・。 (2006/05/19 08:48:22 PM)
この件は、私の「生涯学習テーマ」なんですよ。
北海道の人でも、特別に興味のある人以外は、しらないことが多いかも知れません。 学校でも、最近やっと、チラリと教科書に載せるようになった程度ですし。 >こないだの術前説明の時には「感染症の恐れはある」 >って言われたけど、感染症ってなんだっけ?? そう、感染症という言葉で説明されますよね。。。 組織がなんらかの菌に感染して侵されると、「人工物と体の組織の親和性」を損なうのだと思います。 >今回の私の手術は、右足治らずのまま左膝なのでヾ(´ε`;)ゝ >思うに軸足が右での松葉杖での生活は無理だと思うんだよねぇ(笑) リハの時には、私は歩行器がとても好きでした―笑― スイーって、スケートボード感覚(爆) 腕を鍛えておけば大丈夫! 切るまではアレコレ考えるけれど、切っちゃえばあとはもう、何でも来いっていう気になるよ♪ とにかく風邪には、気をつけてね。 (2006/05/20 04:24:27 AM)
100年近く前のレコード(蝋巻)があるのですが、そのノイズを処理して、ある程度の精度まで再現したのが、北大(北海道大学)の電子工学部のチームなんですよ♪
今は、ムックリなども、子ども達に体験させたり、様々な取り組みをしています。 http://www.ainu-museum.or.jp/mukkuri/mukkuri.html やっと入り口ですが、音楽部分は、これからの若い方々にも期待できそうで、楽しみです。 (2006/05/20 04:51:42 AM)
以前、映画監督の加藤泰と飲んだ際、紛れ込んだ高校教師という男が監督に「アイヌ民族に関する映画を考えたことがないか」と問うたところ、「現在のアイヌ民族は見世物になっていて美しくない」と言った途端、その自称高校教師は「呆れた」と席を蹴って出て行ったことがありました。
旧土人保護法の下、差別の対象とされ、興味本位な学者に丸裸にされ、生活や伝統を見世物とせざるを得なかったアイヌ民族を監督は実によく感じていたというわけなのですが、実のところ北海道からロシアにかけて或は日本本土は勿論、沖縄まで非常に高い能力のある交易を続け、深い信仰心を持ち、口承で歴史を伝えるという特殊な文化を持ったアイヌ民族を単に「アイヌ民族の映画を作る」という言葉では整理しきれるはずがなかった、というところなのではなかったか、と今になると思います。 (2006/05/21 02:32:33 PM)
加藤泰監督の胸の裡、お察しできるといえばおこがましいのですが、少しだけ理解できる気が...します。
当事国国民(子孫)の「戦争責任」みたいなもので、自分が直接手を下したことではなくても、静かに検証することで、「奪われた者 自らが自力で修復・回復してゆくこと」を見守り、 さらに見守り続けることを表現することで「支援」に繋げる、 そんなことができるといいのですが... 「北海道」の名付け親や、その人物と親交が深かった人々が、無力な市井の人でありながらも密かに守る活動をしていたらしいと知ることは、奪った側の子孫としては唯一救いでもあると感じ(もちろん欺瞞に満ちた自己満足と非難もされましょうが)、 そのあたりを勉強してみたいと思い続けています。 「魔神の海」が絶版になったのは、どちらの側の事情なのでしょうね・・・ご存知でしょうか? (2006/05/22 01:57:13 AM)
少し横になるかもしれませんが、
イザベラ・バードは併合前の朝鮮半島に関する貴重な記録も残していますよね。 まだ読んだことがないので、当時の東アジアを知る上でも著作をぜひ読んでみたくなりました。 (2006/05/22 01:54:55 PM)
イザベラ・バード、良すぎます!
私はこの「日本奥地紀行」で初めて知った方で、この本を読むことになったのにも、ドラマがあるのです! 3月末に私が札幌で参加できた読書会のテーマ本が、偶然、本当に偶然、奇しくもこの本だったのです。 本を選定したメンバーが、今回の私の旅行テーマなど知る由もなかったのに、です。 ちょっと興奮しましたヨ(笑) >は併合前の朝鮮半島に関する貴重な記録も残していますよね。 はい、私の次なる課題本です♪ 李朝末期を書いた「朝鮮紀行(時岡敬子 訳)」と、「朝鮮奥地紀行(朴尚得 訳)」、私は後者から読んでみようかと。 「横」ついでですが、巻末の既刊一覧のオモシロネタを。 「長旅が元気の秘訣(バードに学ぶ)」サライ1995年2号--- って、バードのような旅行(!)をしていたら、時には生きていることさえ奇跡と思えること、本当に知ってる?と、思わず突っ込みたくなりましたwww (2006/05/22 02:59:47 PM)
あはは、この飽食の時代、長寿世界一の日本で「元気の秘訣」とは少々強欲過ぎるのかもしれませんね(笑)
でもやはり、生かされていることのありがたみを実感できてこその「元気」なのだとも思います。 イザベラ・バード女史はこれらの旅行の時60代だったそうで、これからその年代を迎える私達にはとても励みになりますよね。 子育ても終り、ある意味「捨て身」で臨める旅行だからこそなのかもしれませんが、またそれだけ年齢と経験を経たからこそ見える世界でもあるのだと思うし興味は尽きません。 すっかり横にそれてしまいましたが、本題の開拓史についても思うところはもちろん色々ありました。 道産子は誰しも、アイヌ以外はルーツを道外に持っているわけですから。 またいつか、詳しくお話しできる機会もあると思います。 (2006/05/22 03:35:24 PM)
イザベラ女史の旅行に学ぼうという中での、「サライ」の存在は、なんだかね(笑)
言い過ぎかもしれませんが、「猥雑」な感じがしました、ホント。。。 >道産子は誰しも、アイヌ以外はルーツを道外に持っているわけですから。 >またいつか、詳しくお話しできる機会もあると思います。 ですね♪ 私の母方のほうは、甥っ子が高校生の時に夏休みの自由課題で「ルーツ」調べをしてくれたおかげで、1000年以上前まで遡れるんですよ! 甥っ子に感謝です! (2006/05/24 12:12:41 AM) |