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テーマ:小学生ママの日記(28573)
カテゴリ:子供たちの日常
さて、またまた続きです。
次に起こった出来事は、フリーマーケットが終わって2日後、火曜日の夕方でした。 例によって、またお迎えの帰り道。 長女は今度は赤鉛筆がなくなったので買いに行きたいと言い出しました。 希望の場所は、例の本屋さん。 またも、なぜか財布を持参してます・・・ 駐車場に車を着けて、 ここで待ってるから、行っておいでと言うと、 「え~~、みんなで行こうよ!長女、欲しいものあるし」 ん? だって、財布にはお金はないはずでは? 「え~~、千円あるんだ」 ここで、明るく答えた長女とはうらはらに、私は血の気が引く思いで固まりました 一瞬にして声のトーンが変わったのも覚えてます。 なんで? その千円は、どうしたの? 「・・・二女にもらった」 救いは、いとも簡単に白状したことぐらいでしょうか? これはさすがにまずいんじゃあ・・・ 「なんで?二女、あげたの?」 「・・・」 「だって、二女はいいっていったもん!」 そういう論理でしょうか? もちろん、これは許せませんでした。 二女はまだ4歳。お金の価値観を教え始めたばかりです。 100円玉と1000円札、どちらが価値が高いのか、それすら判断がまだつかない、幼児。 その妹に、これちょうだい?と言ってもらってしまう。 その行為は私から見たら、お金の管理ができなくなってしまった老人をだまして着服する、犯罪者と同じでした。 車を駐車場に止めたまま、そのことをじっくり話しました。 あなたの行為は、警察に捕まってもおかしくないような、犯罪であるとまで、言ってしまいました。 赤鉛筆を買うお金は、ママが出す。 だから今すぐお店に行って、それだけを買ってくるように言い、長女がいない間には、二女にお金は大事なもの。人からちょうだいと言われてもけして簡単に渡してはいけない。それがたとえお姉ちゃんであっても必ずママに相談してほしいと伝えました。 帰りの道々も私の失望と怒りと混乱は収まらず、かろうじてくどくどと何度も長女を責めることだけを何とか回避して、無言のまま帰宅。 すぐに長女に言って、1000円札は二女に返させました。 その後も私はずっと、考えをまとめるのに必死で、 無意識的に家事をこなし、子供たちがお風呂に3人で入ってくれたのを確認してから、やっと旦那に思いをぶちまけることができました。 すると、旦那は。 あろうことか、笑って「なんだ、そんなことか!」 え~~~!!!ムスメが犯罪者になろうかというところなのに、そんなことなの?! 「俺にも、記憶あるよ」 そして、妹からお金をもらったことはないけれど、親の財布からくすねたことぐらいはあるし、でも結局はバレて父親にコテンパンに殴られたこと。 それを聞いて、はたと思い当たることは私にも実はありました 財布からはくすねたことはないけれど、おつかいを頼まれればおつりは返さず、お駄賃としていただいてたこと、お財布は厳重にかばんにしまっていた私の母親も、小銭には無頓着で上着のポケットを探すと必ずいくらか出てきたこと。 ・・・まあね たしかに、こんな事件一つで、即犯罪者になるわけではないよね。 大人になるまでには、みんな少しづつ悪いこともしてみて、親にバレて怒られたり、先生に怒られたり、ばれなかったらばれなかったなりに罪悪感とか、いつばれるかと戦々恐々の日々にいやな思いをしたり、するもん。 ですよね? ・・・え?したでしょ? 私は自慢じゃないけど、そんな経験がすご~~くたくさん思い出される。 「いいわけ」なんかもそんな経験のひとつで、そういえば私は言い訳をしているうちに相手を丸めこめることを得意技にしていた 母親に、「あんたの言い訳はすごい!」と、絶賛?されたなあ。 たくさん悪いことして、もちろん楽しかったことは楽しかったけれど、いやな思いもたくさんして、それでも幸運なことに傷一つつかないまま無事に大人になり、品行方正なお嬢さんとして嫁入りができた 今思うと偶然でしかないんだけど。 それでもそんな経験が、いま現在の、犯罪者になることが恐ろしいという思いと直結してる。 たとえば脱税とか、不法投棄とか、そんなちまちました犯罪なら、いつでも実行可能なんだけど、実行することを踏みとどまれるのはかつてのいやな経験のおかげだ。 だからね、経験は大事だな、長女も、いい経験をしたと思えばいっか そんなことで、私は教育をあやまった、これからこの長女をどうやってそだてたらいいの?という悲劇からは、立ち直っちゃったりしたんだけど、 ふりかえって今日までこの事件についてあれこれ考えたこと。 結局は、私は、長女の「感情教育」を誤ってしまったんだなあ 0~6歳までに終わるという、学力の基本となる、感情教育。 長女のその年あたりの私は、前にも書いたけど、ほっぽらかしの放任主義という名の無教育だった。 いまならわかります。 感情むき出しで、私の両親や姉、旦那とも喧嘩に次ぐ喧嘩ばかりの日々でもありました。 仕事にも夢中で、その時の私の言動が、どれほど長女に影響を与えていたのかなんて、まったく考えもしなかった。 子供はほっといても育つ。そんな風に思っていた。 彼女がこんなにも物欲大魔王に育ってしまったのも、私がそう育ててしまったんです。はい。 思い当たることは、多々あります。 欲しいものが手に入らなかったときに、どうするか。長女が犯罪とも思われるような手段を使ったことも、たぶん私がそう育てたからなんでしょう。 だからこそ、すごく怖い。 無意識に、私がしていた言動が、どんな影響を長女に与えていたのかは、今後も長女が教えてくれるはずです。私は、彼女に何を教え、何を教えてこなかったのか。 隠しカメラでひそかにテストされていた、その結果が、これから出てくるみたいな・・・ 9歳の壁を、どう乗り越えるか? 壁は誰でも越えられるんです、という先生のコメントを思い出します。 誰でも乗り越えられるけれど、問題はどう、乗り越えるのか?・・・ 意味が少し違うかもしれないけれど、私なりの解釈をさせてください。 長女が、自分で考えて、自分で選んだ手段。 考えることは出来るんだなあという思いもあったけど、たぶん考えることは誰でもできるようになるんだと思う。 だけれども、土台の部分で間違っちゃってると、やっぱり間違った風にしか考えられないよね。 もちろん、誤った手段に気づいてすぐに対処できたことはよかったと思う。 これからも、すぐに気づけるのかどうか・・・自信なかったりするけれど、でも、あきらめるわけにはいかない。自分の子供だもの。 感情教育という土台がしっかりできた子供は、やっぱり同じ問題の場面に当たったら、違う手段を選んだんだろうか?・・・たぶん、そうなんだろうね。 これから迎える長女の思春期。 自分のことを振り返ると、長女も危うい思春期を送るだろう。母親として、憂鬱。 きっと私も土台の部分で間違っちゃった人間なのかもしれない。 それでも、偶然とはいえちゃんとした大人にはなれた。 その偶然が、長女にも訪れるかはわからない。 それでも少しでも偶然の率があがるように、よく子供を見ることで、これから乗り切って行くしかないんだろうな。 感情教育の時代は終わってしまってる。これから取り戻すわけにいかないんだからね。 ああ! タイムマシンがあって、今すぐ長女が生まれたころに戻れるならば・・・!! ぜひ、あの頃の私に、 「子育てと教育の大原則」をプレゼントしてあげたいです ということで、まだ読んでない方は、ぜひどうぞ にほんブログ村 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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