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カテゴリ:詩・文芸
おきなわ文学賞詩部門の審査を終えた。 あたらしい言葉を感じさせる、光る1行があったとき、その作品をどう見るか。 それはその1行に作者が拘泥せず、自ら生み出した光る表現を捨て去るかのように、まったくそこを起点として展開しない場合に、その問いは読み手の価値観を揺さぶる。 拡散する意識、中途半端であること、作品をまとめないこと、それらを体現することで現代的な感覚を表現することってありうるのだろうか。 もし自覚的にそういった表現手法をとっているとしたら、新しい感覚の担い手ということができるのではないか。 「そうだったとしてもこんな表現に未来はない」との意見もある。 どちらにせよ、沖縄現代詩の今後に少しでも影響を及ぼすことを想像した時、人を選ぶということの責任の重さに愕然とする。 また、基本的なことではあるが、書き出しから「さむらいの武者が馬から落馬して真っ赤に赤面した」たぐいの重複表現でこられるとげんなりする、というのをある人に指摘された。 確かにそうだ。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2010/10/22 11:36:09 AM
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