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カテゴリ:詩・文芸
うらいちら(浦田義和)さんが来沖。 「あすら」同人が歓迎の席を設け、招いていただいた。 沖縄国際大学の近代小説研究会のOB・OGの方々も来ていた。 浦田先生は顧問として関わり、あすら同人のムイ・フユキさんもOBの一員。 近小研に中心的な人物として照井裕氏が在籍時していた当時の方々。 部室の雰囲気を聞くと、読書会を開いたりして文学作品についてあれこれ議論していたとか。 沖縄国際大学文芸部とはまったく違った空気! わたしが沖国大文芸部を作ったのは1999年。 近小研がなくなって数年後だった。 同好会からサークルに昇格すると、サークル棟の近小研が使っていた部室を譲り受けた。 ただサブカルチャーを題材にした雑誌作りからスタートし、文芸作品集を発行するまで1年半、活動を軌道に乗せるまでに3年を要した。 対して、照井氏が在籍したのは近小研の初期の頃だと思う。 この違い。 要は、言い出しっぺのわたしが文学作品になど目もくれず、部員と飲んだくれて音楽や漫画の話ばかりをしていたからというだけなのだが。 泥酔して昏睡し、我が身を部員に運搬させ、我が原付も部員に運搬させ、さらに部員の部屋に上がり込んで再び昏睡、翌朝は牛丼屋で大量注文して便所で嘔吐、という人として失格の烙印を押されるような傍若無人の振る舞いを重ねていましたので、平身低頭。わたしはもはや額に「恥」と書いて1000回土下座するほか生きていく道はない。 という感じの大学生がわたしでありましたので、やっぱり部長をやる人の資質って大事なのだな、と痛感しましたとさ。 死んでお詫びすればいいんだろ! みたいな。 上記の話はフィクションです。 と言ってみたい。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2013/02/27 09:32:35 PM
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