そんなテルアビブ★イスラエル★
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今日はオフェルさんの計らいもあって、 お店のウェイトレスのミハルの家族とペサハ:過越し祭を過ごすことになった。 今更ペサハの説明はしたくない・・ネットで十分検索したら出てくる。 私が最も凄いなと思うのは・・あの奇跡。 エジプトで奴隷生活をしていたヘブライ人。 エジプトから約束の地へ向かうためモーゼとともにエジプトを後にした。 彼らの後方にはエジプト人の追っ手が迫ってきていた、でも目の前には請うぢな海が・・・ 切羽詰った彼らは一心に神を信じた。 そうしたら、なんと・・・海が割れて道ができたのよね~~~~。 「海がわれえるのよ~~♪」 潮が引いて干潮になったわけじゃない・・・ っと思う。 「プリンス・オブ・エジプト:The Prince of Egypt」 (ディズニー映画) ヘブライ人がエジプトから出てモーゼによって神から「十戒」をもらうまでの エジプトでのできごとが・・・ペサハ・・・ ともかく、ペサハに参加するのは5年ぶり! 場所は Petah Tikva (ぺタク・ティクヴァ:テルアビブから北東:車で20分位) ミハルのお姉さんの旦那様ダニエルのお宅に3家族が集まった。 車で向かっている途中・・・突然思い出した。 「あ~~。。ごめんなさい、私、何も気にしなかったけど・・・クッキー買ってしまった」 手土産にクッキーを2箱持っていました。 「ペサハの時期は酵母(イースト)入りの食べ物は禁止されているのよね」 ・・・・ 一同大笑い ・・・・ **私とミハル** プリムの時とは大違いだ!2008年3月21日参照 ダニエル 「大丈夫だよ、僕の家族はそんな宗教家じゃないから。ペサハのときでもピザを注文するからね~」 ・・・ も~~。私・・・ やってしまった!!! ミハルの家族達はヨーロッパ系の Ashkenazi (アシュケナジー) と呼ばれる人達です。 イスラエル社会の中ではエリート層を占めている人たちです。 ビックリしたのがミハルのお婆さん。80代、すごい英語の達者な方でした。 **ペサハの食卓** ペサハ儀式 (セデル:Seder) が終わるまで1時間以上はかかるんじゃないかな?? その儀式のための Haggadah (ハガダー:式次第) があって、 そこにはお祈りの言葉や歌、儀式の進め方が記載されている。 本は家族がそれぞれ分担して朗読してゆく。 **Haggadah(ハガダー)** 私もその本 (ハガダー) を持っていたはずだか?? どこに行ったの?? 5年前のペサハは宗教家の家族だったので儀式が凄く長かった。 儀式中は食事は・・・おあずけ・・・・ (儀式中の) 苦菜やゆで卵などは決して腹の足しにはならない・・・。 プラス・・・4度もワイン (ノンアルコールワインもある) も飲まなくてはいけない。 **ペサハの皿(カアーラー・シェル・ペサハ) :食物にはそれぞれ意味がある** あの時の苦い思い出があったので前もってちょっとお腹に入れていた。 ミハルの家族達みんな、 「毎年、だんだんと短くなっているの、だから儀式の進め方がよく分からなくなるのよ」 っと笑っていました。 21世紀・・・ ヘブライ人がエジプトから出る時は「エキスプレス急行列車」 ペサハの儀式の第一ステージで matzah (マッツァー:酵母の入らないパン) (これが本当にまずい) を家長 (父親) が割るんだけど、 そのくず (Afikoman:アフィコマン) と言って、家のどこかに隠すのね。 それを見つけた子供は 「プレゼント」 がもらえるの。 ・・・多分長い儀式だから子供が飽きないための工夫よね・・・ *酵母の入らないパン* 知ってる~?? ダヴィンチの「最後の晩餐」はこのペサハの晩餐のことなのよ~。 ・・・イエスももとはユダヤ人・・・ 12人の弟子達と最後に食事をとったのがペサハの時期だったのよ。 私は11年前イスラエルへ来た時、このペサハの食事が口に合わなかった。 今はイスラエル料理に慣れたのかな・・・ 美味しかった。 それでも、ダニエルの父親は私に 「これは僕達ユダヤ人の大切な伝統だから」 っと強く言っていた。 現在は世俗的なユダヤ人がイスラエルでも増えてきている。 それでもやはりこの「伝統」は守られている。 ユダヤのお祭りはその祭りの独特の色々な食べ物やお菓子がある。 またペサハは「春のお祭り、春の農業祭」ともいえる。 その後「春の収穫祭ともいえる」:ペサから7週目にシャブオットがある。 みなさん、日本から来た珍客を楽しんでくれていたようです。 ダニエルのお父さんに電話番号を聞かれた。私とは全く遠い関係の人だ。 ・・・お父さん、素敵なイスラエル人を紹介してください!・・・ お父さんの友人の一人が昔、 日本のイスラエル大使館の領事をやっていたそうだ。 北海道のド田舎の娘がススキノでホステスをし、今こうしてイスラエルにいる。 「ホステスという接客 (ホスピタル) 業」はどこの国に行っても役に立っている。 私はススキノ時代にたくさんのことを学んだ。 エリート家族に囲まれた夜・・・ 日本人はナイーブ (は世間知らずという意味もある) と思われないよう対応していた。 もし、私が将来イスラエル人と結婚したら・・・・ 私の家族とどうやって会話をするといいのだろうか??? でも、今日は久し振りのペサハを過ごして、 久し振りにハガダー:式次第に目を通して新しい発見があった。 でも・・・とてつもない長い日記になってしまうので・・・ 今日はやめておく。
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2007年11月から再度イスラエル・テルアビブに来てます。テルアビブに住んで合計5年!テルアビブしか知らない私? 面白おかしな、イケイケなテルアビブ情報を発信します。
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