毎年 YOM KIPUR (ヨム・キプール:贖罪日) が近くなると必ず思い出すことがある。
2003年9月のヨム・キプール始まる前、
突然私のルームメイトが 「お客様だよ」
誰だろう・・・
アパートはオートロックになっている、多分インターホンでルームメイトが
私のお客様と話をしたらしく、アパートのビルの入り口まで降りて行った。
なんと、マタンがそこに立っていた。
**ちょっと昔の田村正和を思い出すこの写真の顔の彼**
人生で、ではじめて「ビンタ」 をしたた男がマタン。
(2008年09月16日;超大金持ちの跡取り一人息子)
マタンと別れてからはじめてのテルアビブ一人暮らし。
男性2人のルームメイトと私の3人の生活。
このルームメイトも実はマタンが一緒に探してくれたところだった。
あれ~どうしたんだろう
「元気だった」
「ちょっと時間あるかな」
**2003年のヨムキプール(テルアビブ美術館前)**
マタンと外に出てコーヒーを飲んでいた。
話を聞くと前日も私が住んでいるアパートの周りをうろうろしていたらしい、
・・・・ あらっ、一歩間違えたらストーカー
凄い勢いで言い合いをして追い出されたこともあり、その度に彼が
謝りに来てまた元に戻り、でもビンタをした時は 「これが最後」 と思っていた。
20歳の彼、なんだか懸命に私のことを好きだったのだと思う。
ヨム・キプールという日を選んだ彼、本当に謝りに来たと感じた。
全ての交通機関がストップしてしまったけど私たちは話をしていた。
その後、2人で近くのシナゴークへ行った(無理して私に付合ってくれた。)
ラマット・ガン (Ramat Gan) の彼の家までは歩いても約45分以上かかる。
ラマット・ガンとテルアビブの境界線で私たちは別れた。
**テルアビブとラマットガン境界近く**
もう一度やり直せそうかなと感じたが・・・
その数日後彼との会話でやっぱり無理だと思った。
その後、マタンは約1年以上私を思っていた。
どうにか元に戻そうとしていた彼、でも私の気持ちはもう彼からは離れていた。
今年の2月、イタリアへ行く前日の夜
バス停でバスを待っているときに私の名前を呼ぶ人がいる?
だれだろう
聞くと今は大学生でもう今の彼女とお付き合いをして1年経つと言ってた。
なんだかちょっと大人になっていた彼。
会えたことがとても嬉しかった。
「僕の電話番号まだ持っている 何かあったら電話してね>」
ヨム・キプールってなんだかやっぱり素敵な日だって思う。
「ごめんね」 をなかなか言えなかった友達や家族にこの日はチャンスをくれる。
離れてしまった昔の友達、タイミングを逃して電話ができなかった
そんな友達と話すきっかけをつくってくれる。
「マタン結婚して子供がいるんだよ」
そんな話を風の便りに聞くのを楽しみにしている。