カテゴリ:ユダヤ教
神道とユダヤ教 1 その後、天照大神の孫である二二ギノミコトが高天原から地上に降臨する際、「この鏡は私の御魂として、私を拝むのと同じように敬ってお祭りしなさい。」、天照大神はそう言って剣、タマ、と共に授けた。 二二ギノミコトのひ孫が、初代・神武天皇であり、「三種の神器」は以降、代々の天皇が受け継ぎ、現在も鏡は伊勢神宮に、剣は熱田神宮に、玉は皇居にある。 神話の世界から伝えられてきた「三種の神器」を引き継いでいることこそが、天照大神の子孫である天皇の証であり、神器を受け継がない者は正式に天皇として認められない。 そんために、南北戦争時代の北朝5代の天皇は歴代125代の天皇の中に入れられていない。南北時代には神器の争奪戦が起き、その所在がきわめて不安定になった。 寿永2(1183)年、源氏に追い詰められた平氏は幼帝・安徳天皇と「三種の神器」を擁して都を離れる。 そして2年後、壇ノ浦における合戦に敗れ最後の時を迎えた、「私をどこに連れて行こうとするのか?」 「悪い縁にひかれて、御運既に尽きておしまいになりました、まず東にお向かいになって、伊勢神宮においとまを申し上げ、その後西方浄土の来迎(らいごう)にあずかろうと思いになり、西にお向かいになって五年ぶつをお唱えなさいませ。この国は苦しい場所でございますので、極楽浄土と言って素晴らしい場所へお連れ申し上げますよ。」 わずか8歳の幼帝は涙を流し、小さくかわいらしい手を合わせ、東に拝し、西に念仏する。 天皇の祖母の二品禅尼(にほんぜんに)・平時子(たいらのときこ)はそのまま幼帝を抱き、「宝剣」「曲玉」を収めた箱と共に、千尋の深い海底に入水した。「浪の下にも都のございますよ」 悲哉(かなしきかな)、無情の春の風、忽(たちまち)に花の御すがたを散らし、なさけなきかな、分段のあらき浪、玉体を沈めたてまつる。 (平家物語より) 続いて大納言侍局(だいなごんすけのつぼね)は「神鏡」の入った箱を持ち入水しようとしたが、袴の裾を船端に射つけられ、倒れたところを取り押さえられ、「神鏡」は無地だった。 「曲玉」の箱は会場に浮かんできたところを回収された。しかし「宝剣」は水没し、海女に探させても、社寺に祈祷させてもついに発見されなかった。 水没した「宝剣」は熱田神宮の本体ではなく、宮中の分身だったが、これ以降二十数年間宮中では神器の剣が不在となった。 その後、順徳天皇の夢に神示があり、伊勢神宮から送られた剣を新たな「草薙剣(くさなぎのつるぎ)」の分身とすることになった。これが現在の皇居に伝わる剣である。 「三種の神器」は、現在誰もみたことがない。箱の中に厳重に封印され、天皇でさえ実見を許されずに代々伝えられてきたのである。 宮中の「神器」は記録によれば平安時代以来、何度も火災に遭って原形を留めていないと言われているが、実際にどういう形状になっているのかは誰も知らない。 壇ノ浦では水没を免れた「神鏡」を武士が確認しようとした途端、急に目がくらんで鼻血をだしたと『平家物語』は記している。 他にも「曲玉」の箱を開けると白雲が立ち上がり、中を見ることができなかったというような話がいくつも伝えられている。 聖なるものは、世俗の者の目に触れてはならない。触れた途端に聖は俗に墜ちてしまう。宮中三殿を内掌典が厳しく「清」と「次」を分けて守っているように、俗とのかかわりに厳しく制限をかけた「聖域」を作ることによって神聖さは保たれるのだ。 天照大神とスサノオノミコトの父であるイザナギは、黄泉の国で、見るなと言われていた妻・イザナミの姿を見てしまったため、二神の関係は永遠に断たれることになる。 二二ギノミコトの息子・山幸彦(やまさちひこ)は、妻のトヨタマヒメから見るなと言われていた出産の姿を覗き、龍の姿を見てしまったために二神は地上と海上に離れ離れになってしまった。 見るなと言われているものを見て、異世界との関係が壊れてしまう話が神話には多い。ましてや神そのものが宿る「神器」を、世俗の者が見ようなどとは、もってのほかなのだ。こういう話が唯物論の左翼や、それに影響された戦後サヨク、さらに入江相政氏のような近代主義・合理主義者には理解できないのだろうな・・・・ 非科学的だぁ! 三種に神器なんてただのモノじゃないか~っ! なんで見ちゃいけないんだ~ぁ! オレが見てやろう! 神話なんか教科書に載せんぞ~ぉ! この世のすべてを合理的に説明できると思ったら大間違いだ。相対性理論でも量子力学でも宇宙と物質の全てを解明できてない。人間とて、意識下には得体の知れない欲望が渦巻いている。 堕胎にしても、人工授精にしても、「ならぬものは、ならぬ!」というタブーが壊された時に、 まさにそのタブーこそが人間の知恵であったことを知るだろう。合理主義の傲りに気づく日が来るだろう。 古代人が神話で表現したものは、数人の人間が作為的に捏造した絵空事ではない。神の名において、民族の知恵やイ氏を表現したものである。科学が進歩すればすれるほど、近代的な生活の中で我々の生命力が薄れていくほど、神話に暗示された話の事実性に我々は気づくことになるはずだ。 古代日本において、鏡・剣・玉の三つの器具は、天皇に限らず、統治者の証だった。各地の豪族の古墳からは鏡・剣・玉 がセットで出土しているし、天皇に豪族が恭順の意を示す際に、鏡・剣・玉を差し出した話も伝えられている。 こうして各地に数多くあった鏡・剣・玉で、最後に一組だけ残り、まさに日本の伝統者の証となったのが、天皇の「三種の神器」である。この歴史的意義は否定できない。 「三種の神器」とは、日本の歴史の中で自然に成立し、現在も受け継がれている世界最古のレガリアなのである。 レガリアとは、それを持つことによって正当な王位継承者である証となる象徴のことで、イギリス王室には王冠・玉笏・宝珠が、タイ王室には王冠・短剣・杖・団扇と払子(ほっす)・スリッパが受け継がれている。こういうことはアメリカ人には理解し難いらしい。 日本では天皇が亡くなると、直ちに「三種の神器」のうちの天皇のそばにある「剣」と「玉」が次に天皇に引き継がれる。昭和天皇崩御(ほうぎょ)の際は、そのわずか3時間半後に宮殿松の間で、「承継の儀」が執り行われた。 ・神道とユダヤ教 3に続く。 ・神道とユダヤ教 1
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最終更新日
2009年08月17日 11時26分16秒
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