カテゴリ:ワインスタンド
授業の後、例によってハウプトマルクトのワインスタンドへ行ってきた。
今日はトリアーにほど近いモーゼル中流にあるワイン村、メーリングにあるマルティンスホフという醸造所だった。この村の畑はあまり知られていないが、なかなか香りのいい、アプリコットのヒントのあるワインにしばしば出会う。モーゼルにはメーリングのほかにもワイン村が100前後あるが、比較的知られているのはトリッテンハイム、ピースポート、ヴェーレン、グラーハなど一部にすぎない。 「どうだ、うまいかね?」スタンドの中にいた醸造所の親父が話しかけてきた。 2004年産のシュペートブルグンダーを飲んでいたが、なかなかアロマティックで口当たりが良かった。4haの畑からワインを造っているこの醸造所では、現在生産の約2割を赤が占めていて、売れ行きも上々だという。輸入ワインとの競合があっても、赤への需要は高く、赤を造らないと顧客が離れていってしまうのだそうだ。 「お客さんの家族の中でもいろいろ好みがあるからね。例えば奥さんが赤が好みだとするだろ。もし赤を造っていなかったら、たとえ旦那さんがウチの白に満足していても、赤も造っている他の醸造所に行こう、となっちゃうんだよね。」 そう言って肩をすくめた。似たような話をほかの醸造所でも聞いたことがある。 彼-ハンス・ツィッシ-は父親から醸造所を継いだのだが、その祖先はハンガリー出身で、代々バラトン湖のほとりでワインを造っていたそうだ。1760年頃に野戦病院担当の衛生兵としてモーゼルに出征していた曽祖父の祖先は、いつか故郷に戻るつもりがメーリング村の娘と恋に落ち、結局そこで家庭を築くことになったのが、 この醸造所の始まりだそうだ。 ハンスは、もともと神父になりたかったという。 「メーリングはカトリックの村で、村の教会の神父は村人みんなから尊敬されていたからね。それで、幼心に大きくなったらああいう大人になりたい、と思ったんだ。」 10歳の時、父親から将来何になりたいのかと聞かれ、神父になりたい、と答えたところ、ほどなく近郊の神父養成学校に入れられた。生まれて初めて両親からはなれての寄宿生活は、ひどく寂しかった。それにさらに追い討ちをかけたのが、教師である神父の言葉だった。「これから神に仕える身なのですから、この寄宿舎で生活する私達が家族なのです。生まれ育った家族は、忘れなくてはなりません。」それを聞いたとたんに涙が止まらなくなり、泣き続ける彼を持て余した神父は、実家に電話することを許してくれた。結局神父になることはそれであきらめ、醸造所を継ぐことにしたのだという。 「まぁ、そんなに裕福な暮らしは出来ないけど」とハンスは続けた。「まっとうに生活できているから、満足しなくちゃな。」一人いる息子に醸造所を継ぐ意思はなく、歯科技師を目指している。将来醸造所を継ぐ予定の者は今のところ身内にいない。「無理やり継がせるつもりはないし、なるようにしかならないよ。」恐らくモーゼルの醸造所を経営する多くのご主人と同じ思いを、彼もまた抱いているのだろう。小規模な醸造所を経営する難しさを知っていて、かつて彼もまた同じ人生の選択肢に直面したことを思い出すと、無理にすすめることは出来ないに違いなかった。 「やぁ、あなたがた、去年もここに来ませんでしたか?」ハンスはワインスタンドに立ち寄ったお客に親しげに話しかけた。「お客を待っているだけじゃだめなんだ。こちらか売り込んでいかなくちゃ。」そう言って片目をつぶると、嬉しそうな表情をみせるご夫妻へと歩み寄って行った。 写真は神父になりたかったというハンス・ツィッシ氏。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2005/05/31 06:46:25 AM
コメント(0) | コメントを書く
[ワインスタンド] カテゴリの最新記事
|
|