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May 1, 2010
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イープルの街は、ベルギーにいながら何故か英国ムードが漂っています。巨大で堅牢な衣料会館の時計台は、まるで英国国会議事堂のビッグベンとか、テムズ川に架かるタワーブリッジのように見えてしまうのは何故だろうか?少し気になったので、イープルの歴史を調べてみたところ、中世時代に亜麻繊維の織物(リンネル)を英国に輸出していたようで、英国と古くから交易があったことが伺えます。ということは、もしかしたらこの交易を通じて、英国式建築の技術が入ってきて、この小さな町にイギリス風の巨大な時計台が建設されたのではないか、と想像させられます。

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      英国的な衣料会館の時計台                 聖マーティン教会

この小さな町を歩いていると、英国旗が風になびいている光景が何度か目に入ってきます。第一次世界大戦時、英国は命をかけてベルギーを守ろうとしました・・・

ドイツ軍にとって、イープルという町はフランス侵略の絶好のポジションにありました。そのため、ドイツ軍によって激しい爆撃がなされ、イープルへの侵略が始まりました。英国、カナダなどから構成される連合国軍は、ドイツ軍の侵略を阻止すべく、攻撃を加えて町を守ろうとしました。しかし、圧倒的な強さを誇るドイツ軍。連合国軍が1m前進するのに20名の兵士の命が奪われる程、ドイツ軍の攻撃は激しかったと言われています。この約3ヶ月の戦いで、失われた命は両軍あわせて50万人。

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                         イープルの街並み

そして、戦後を向かえ・・・・。

町の外れにあるのは、「Menin Gate」という門。その門の壁には、1914~1917年に戦没した墓石の無い54896名の英国兵士たちの名前が刻まれていました。墓石の無い英国兵士たちとは、つまり、まだ遺体の発見されていない兵士たちの事を意味します。戦後、この門が建設されたとき、全ての名を刻むのに十分だろうと考えられていました。ところが、あまりにも多すぎたのです・・・。1918年以降に戦没した34984名の墓石の無い兵士たちの名を刻むスペースがなくなってしまい、彼らの名は今も刻まれておりません。

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   約100年前は激しい戦闘地域だった               風になびく英国旗

毎晩20時を向かえると、この門の付近を通行する車両は全て停止させられます。そして、イープルの地元消防団によって、軍葬ラッパ(Last Post)の演奏が、地に向けて奏でられます。これは、命がけで町を守ろうとした勇敢な兵士に捧げる演奏です。この演奏は1928年7月2日以来ずっと、1日も欠かさず行われています(ただし、第二次世界大戦中、ドイツ軍によって占拠された期間を除く)。

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          Menin Gate                    行方不明兵士の名前

この戦場に派遣されたドイツ軍兵士の15%は、まだ大人になりきっていない若い学生達だったそうです。「Deutschland, Deutschland über alles」と歌いながら、激しい銃弾と爆撃の中、若い命を失ったドイツ軍の学生兵士は約3000人。イープルに近いLangemarkという小さな町に、敵陣にもかかわらず、約4万人のドイツ軍の兵士が葬られました。

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          Menin Gate                     イギリス国軍の墓地

イープルの町はこの戦争によってほぼ全壊しました。しかし、この町のシンボルである衣料会館をはじめ、イープルの街並みをなるべく元通りの姿へと再建を行ったのは、敗戦後のドイツでした。現在、イープルと姉妹都市を結んでいるのは、英国・Sittingbourneと、フランス・Saint-Omer、ドイツ・Siegen、そして、日本・広島です。

広島は世界で初めて核兵器が使われた都市、そしてイープルは世界で初めて化学兵器が使われた都市です。二度と悲惨な戦争を起こさないように世界に訴えるために、この2都市間で友好が築かれたのです。

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まだ、書きたいことはたくさんあるのですが、長くなるので、この辺で。次回は、この旅の最終地となるベルギー・ブルージュについて書いていきます。では、また。






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Last updated  May 1, 2010 08:19:40 AM
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