人生の最期の迎え方
又、母のささやかな介護の当番がやってきました。すこし前から、週末は、外泊か、外出を必ずするように、という主治医の助言もあり、行っています。 90歳ぐらいまでなんとか、父と二人暮しをし、家事もやっていました。しかし、だんだん、行動がちぐはぐになり、それも無理となりました。体もよく動かし、子供たちにも、あまり頼らず、生きてきました。気も張っている気性なので、ここまで、これたのだと思います。それでも、最期を迎える瞬間まで、体も心もしゃんとしていることは、無理だったようです。 母は、自分のおかれた状況を理解することが難しく、兄や姉ともども、母の問いにどう答えたらよいのか、苦しんでしまうことが度々です。正直な母の願いは、長く住み慣れた家に死ぬ瞬間まで、過ごしたいだろうというなということは痛いほどわかります。 しかし、一泊二日の外泊でさえ、実際にやってにれば、だれかがつきっきりでなければ、危ないことが多く、子供のだれかが、実家に住み込まなければ、出来ません。かといって、遠く離れた、都会に引き取ったところでも、母にとって、ますます、混乱するだけです。 それで、母にとって、地元の施設にお世話になり、できるだけ、外泊や外出をさせると言う、方法がとられたのです。たまたま、母は6人も子供が健在ですから、それができますが、1人、2人の子供だけでしたら、この方法でも、負担は大きいと思います。子供自身も歳をとってきていますから。 もっと、大変な方々が沢山いらしゃると思います。母の状態はかなり、恵まれた方だと思うのですが、本人は納得できない部分がいろいろあるようです。施設な方々は本当に優しく良くやって下さっていることが良く伝わってきます。 母はいつも元気であっただけに、いつか、体の機能も衰え、記憶もさだかではなくなく時が来る事を、人事と思っていたかもしれない、私だって、会うごとに劣えてゆく高齢の母の姿を実際に見ることがなかったら、歳をとるということが、どういうことなのか、わからなかったと思います。歳の取り方も千差万別で一人として、同じものはないと、思います。 その人の、健康のレベル、人間性、人性観、人間関係、経済力、などなど様々なことが絡み合って、人性最期の迎え方を決めてゆくのだと思うのですが、、、。はっきりしていることは、いつかその時期は必ずくるということだと思います。ですから、実際に、母や父の姿を見ることができたのは、私にとって、とても、意味の或る事だと思っています。何に価値を置いて、日々生きていったらいいのか、考えさせられる毎日です。