|
カテゴリ:広島
(4)県立広島第一高等女学校原爆犠牲者追悼之碑 【前回までのおさらい♪】 今年6月27日、 ねこままん、広島にダンナ様「ねこぱぱん」と2泊3日で行ってきました。 二日目の28日は丸一日、普通はあまり観光客に知られていない 「原爆遺跡」を中心に自分の足でまわってきました。 今日は (4)県立広島第一高等女学校原爆犠牲者追悼之碑 になります。 広島県立第一高等女学校は 当時「県女」と呼ばれ、 1922年に建てられた 木造校舎とおしゃれな 鉄製の門扉が特徴的な ハイカラな女学校でした。 当時の県女生は この学校に入れたことを 大変誇りに思っていたと いいます。 この写真は当時この学校の 正門にあった4本柱のうちの 一つです。 平和大通りの緑地帯に ひっそりと当時と同じ場所に 今もひっそりと立っています。 (ねこままん撮影) この写真は原爆が投下される前の第一高女の写真です。立派な校舎です。写真の門扉は鉄製のおしゃれなデザインの頃のものですが、1942年には金属不足で国に供出され木造にかえられてしまいました。 この写真は原爆投下後、1945年11月に撮影された第一高女の正門付近です。赤丸部分の4本柱がわかりますか? 周囲の状況を見ても、いかに凄まじい状態だったかわかりますね。ちなみにこの場所は爆心地より650mしか離れていませんでした。 原爆投下により、 建物疎開作業に動員されていた1年生をはじめ、 297人の生徒・教職員が 犠牲になったそうです。 本当に心が痛みます。 この写真は 追憶之碑正面です。 ねこままんも中学から 短大まで京都の女子校で 学生生活を過ごしました。 偶然にも、ねこままんの 中学の時の制服が彼女達と 同じ紺のセーラー服でした ので、他人のような気が しません。 碑の前で手を合わせて いると自然と涙が 頬をつたいました。 もっとおシャレしたかったろうに… もっと友達と勉強したかったろうに… もっと友達と遊びたかったろうに… 熱かったでしょう… 辛かったでしょう… こう彼女達を想い、 ねこままんはお線香を 手向けこの場を 後にしました。 (ねこままん撮影) こちらは門柱裏手の左側にある 小さな碑です。 (ねこままん撮影) さて、明日のねこままんの 「忘れてはいけない出来事~広島 その7~」は (5)爆 心 地 をお送りします! ※広島県立広島第一高等女学校について詳しく知りたい方に おススメのHP及び出版物等をあげておきますね♪ 【おススメのHP】 ◆広島の今から過去を見て回る会 「県立広島第一高等女学校原爆犠牲者追悼之碑」のページ ◆広島の原爆遺跡と碑 このHPはトップページに原爆投下からの時刻カウンターがあります。 ねこままんが広島の遺跡を訪ねるきっかけになったHPです。 「県立広島第一高等女学校」のページ ※また、今回の記事の上から2~4枚目の写真は こちらから拝借しました。(ありがとうございました) とても詳しく書かれた秀作です。ぜひご訪問ください。 ◆「大下靖子さんの夏服」のページ 【おススメのビデオ】 ◆「夏服の少女たちヒロシマ・昭和20年8月6日」 (NHKサービスセンター発行 NHKソフトウェア発売) ビデオレンタルででていましたよ♪ままんも見ました。 彼女達のけなげな姿に涙がとまりません… 【おススメの本】 ◆「夏服の少女たち―広島・昭和20年8月6日」 (大野充子著 ポプラ社刊 1989年7月発行) ◆「ひーちゃんはいった―広島の少女たちの遺書―」 (大野充子著 ポプラ社刊 1977年7月発行) ◆「あなたへ(1945年ヒロシマ・8月6日のない日記)」 (大野充子著 あすなろ書房刊 1985年8月発行) ◆「広島第一県女一年六組森脇瑶子の日記」 (細川浩史・亀井 博編 平和文化刊 1996年6月発行) ※お花のバナーは「ALOHA OHANA」さんでいただきまし た!きれいでしょ♪ 心が晴れ晴れするようなお花の素材がいっぱいです! お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
[広島] カテゴリの最新記事
|