テーマ:戦争反対(1190)
カテゴリ:平和
トップの自由ページの最後に、いつも載せている松代大本営象山地下壕の写真。 中に入ってみたいと思われませんか。 ぜひいっしょに行きましょう。 壕内は年間通して気温が16度前後。寒さ対策が必要ですよ。 今回は簡単な説明だけにします。 興味を持たれたら、バーチャルでなく本当の地下壕に入ってみましょう。 集合場所は昨日も書いた「象山神社」。 車は松代城(海津城)周辺に無料の市営駐車場がありますから、そこに止めてくださいね。 徒歩で15分から20分、松代の町を散策しながら神社にいらしてください。 途中、池田満寿夫美術館、真田宝物館、真田邸、文武学校など、名所が目白押しです。 神社からは堀割に沿って歩きます。長屋門が復元された山寺常山邸は休憩所になっています(昨日の日記のおひなさまは、もう飾ってありません)。 5分ほどして右手に鯱を乗せたお寺が見えてきます。 恵明寺(えみょうじ)です。隠元豆を日本に紹介した隠元導師の黄檗宗のお寺です。 周囲は杏や桜が多く、もう少し経つと花に囲まれたお寺となります。 このあたりからは、松代にある他の2つの壕のある山を左側に見ることができます。 舞鶴山と、皆神山(松代群発地震の震源地)です。 松代大本営地下壕…日本の敗色が濃厚になった1944年。 大本営は、同じ降伏するにしてもいくらかの戦果をあげて、国体護持(天皇制)の維持を連合軍に認めさせようと、本土決戦の準備をしていました。 東京は大本営を置いておくにはすでに危険で、その引越し先に、松代が選ばれました。 なぜ松代が選ばれたか… ○本州の最も広い場所にあり、近くに飛行場がある ○岩盤が固い ○山に囲まれ、工事に適した広い平地がある ○労働力が集めやすく、人情が素朴で秘密が守られる ○信州は神州に通じ、風格がある などとされていますが、実際の状況とは異なっているものもありました。 こうして、1944年11月11日午前11時に、松代地下壕の掘削が始まりました。 舞鶴山地下壕は天皇・皇后の御座所と大本営、皆神山地下壕は食糧庫、 そしてこれから入る象山地下壕は、政府省庁、日本放送協会、中央電話局に予定されていました。 右に流れる神田川は、舞鶴山地下壕のそばを流れ下っています。 この標識が見えたら、川を渡ります。 壕の入口が見えました。 管理人さんの小屋で、どこから来たかと人数を報告しましょう。 ヘルメットも置いてあります。安全のためには被った方がいいですね。 地下壕入口付近には、鳥瞰図と松代大本営の簡単な説明板が立っています。 ハングルの説明板、慰霊塔などもあります。 この象山の下に20メートル間隔で縦坑が20本、それをつなぐ横坑が50メートル間隔に掘られています。 このうち、私たちが入れるのは15番の坑までの片道500メートルです。 さあ、入りますよ。 傾斜の急な下りです、滑らないようにね。 あっ、頭上の岩角に頭をぶつけないように、こちらも気を付けてください。 ここは導坑または連絡坑と呼ばれている穴です。 50メートルほど歩くと、大きな穴に出ます。 これが本坑です。横4メートル、縦2.7メートルのかまぼこ型をしている穴。 これが20本あるんです。 赤く見える鉄柵は落石防止のために、公開されるようになってから作られたものです。 しばらくここで、壕内の空気を5感で感じてみてください。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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