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ネタはあるんですよ<言い訳?
んでも、朝起きたときから頭が重くて…(T_T) こういう状態であれこれ書いていると変なことになっちまいそうでちと不安です。 新しいことを書くよりは昨日の続きでも…<おひおひ!! 掲示板の方でも多少意見を書いたりしていますが、本来種の保存本能からすれば妊娠・出産と言うのは喜ばしいことのはずです。しかし、環境とのバランスから個体数が増えすぎてしまった場合には種全体として妊娠・出産の頻度が減るし、逆に生き延びる可能性が低い環境では妊娠・出産の頻度が高くなる。これは自然なことであって、これが上手く行かないときはネズミの「集団自殺」みたいな間引きが行われないと飢餓などの地獄のような惨状に追い込まれかねない。自然界では捕食の関係で個体数がバランスよく保たれるようになっているが、人間の場合は自然界から切り離されてしまい、己の才覚で個体数を決めるような感じになってきている。 こういった視点から眺めてみると、例えば伝染病の流行で大量に死者がでたり、戦争によって殺戮が行われたりするのは、ある種の「間引き」ではないのかと言う疑義に襲われる。でもこれは逆効果でもあって、増えすぎた個体数を一挙に減らすことにより、妊娠・出産の頻度をより高めてしまうことになる。むしろ日本のように医療技術の進歩の恩恵を浴し、なかなか人が死ななくなった社会においてこそ妊娠・出産の頻度は抑制され、人口爆発から遠ざかれるのではないかと思われて仕方がない。 今日の世界での問題は貧富の差であり、それに伴う人口爆発や環境破壊といえよう。上述したように生き延びる確率の低い環境では種の滅亡を防ぐために頻繁に妊娠・出産が行われ、それでも成人に達する前に大半が死去してしまうために個体数の急増にはなっていなかったのに、医療の進歩で簡単には死ななくなったのに生活環境が厳しいために妊娠・出産の頻度が変わらないので、人口が爆発的に増えることになった。これを抑制するために中国では「一人っ子政策」などを行ったりしていたが、暮らしが貧しく、一人でも多くの働き手が欲しい環境では出産の抑制は相当な困難を伴う。働き手の数が多くなくてもどうにか暮らしていける社会になれば自然と出産は抑制されるようになる。その典型が今日の日本である。いまやさほど多くの働き手を必要としなくなり、ある意味円熟期から衰退期にサイクルが向かっているとも考えられます。 こんなことを書くと不謹慎だといわれるかもしれないのですが、時間的空間的に存在するギャップを埋めることで人類はこれまで飛躍的な進歩を遂げてきているわけで、日本もアメリカとの間にあるギャップを埋めることで今日の繁栄を築いてきたんです。これから更に繁栄するには後方に置き去りにされた人々がギャップを埋め、勢いに乗って我々を一旦追い抜いていったのを、そこに生じたギャップを埋めるパワーでずっと先に行くしかないと思うのです。いうなれば雌伏期ってことでしょうか。ギャップを広げるよりもギャップを埋めるほうが数段楽なことを考えれば、いまだしのところを発展させることが回りまわって我々のためになるんです。「情けは人のためならず」ですね。 妊娠・出産から話が飛んでしまったように見えますが、いまだしのところを発展させ、そこでの環境を好くすることで人口爆発を抑止できれば、我々は後ろめたさもなく子供を増やそうと言えるのではないだろうか。民族のレベルではなく、地球と言うレベルでは人の数は多すぎるのです。このことが無意識のうちに「子育て忌避」と言う形に表れているのではないか、と感じているんです。超自我レベルのお話ですから絵空事といわれれば反論のしようもないんですが、こうした種の保存についてさえ我々はコンセンサスを得られていないと言うことだけは確かだと思うんです。 あ~やっぱり変ですね(T_T) どうも上手く言葉にできないです。まぁ、掲示板の延長ってことで、「日記」としてはお休み扱いなのかしら(謎) それにしても長いなぁ…(爆) お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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