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2006.09.05
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ベロニカは死ぬことにした
パウロ・コエーリョ(沢口研一訳)『ベロニカは死ぬことにした』
Paulo Coelho, Veronika Decide Morrer
~角川文庫、2003年~

 以前からずっと気になっていながら手に取っていなかったのですが、最近ある方から本書を読んで面白かったというお話をうかがい、それをきっかけに読んでみることにしました。読んで良かったです、これは面白いと思いました。
 舞台はスロヴェニアの精神病院です。以下、いつものように内容紹介と感想を。

 平凡な毎日の繰り返し。「人生そのものが代わり映えせず、一度若さを失ってしまえば、あとはずっと下り坂になる」こと、そして世の中はどんどんおかしくなっていくのに、自分にはなにもできないこと。ベロニカはこれらを理由に、睡眠薬を飲んで自殺を図った。しばらくはなかなか変化が起こらなかった。気付かないまま死んでいきたかったのに、彼女は次第に苦しみを感じ、苦しみながら、死を意識しながら意識を失う。
 気付いたときには、彼女は新しくできた(そしてとても畏れられている)精神病院、ヴィレットで治療を受けていた。しばらく眠り込んだままの彼女。ようやく意識を取り戻し、医師であるイゴール博士と面会する。そこで彼女は、自分の心臓が著しく傷ついたこと、残りの命は長くて一週間だと告げられた。
 睡眠薬を飲んですぐに死ぬのと、近づきつつ死を意識しながら死ぬのでは大きくわけが違う。ベロニカは死をおそれはじめた。
 規則正しい病院での生活。定期的に打たれる注射。病院の中には、「本当の精神病者」と、「普通なのに外の世界に出て行こうとしない人々」がいた。ベロニカは、症状が快方に向かっている患者のゼドカ、後者のグループに属していた元弁護士のマリー、外交官の息子で多重人格と診断されているエドアードとの交流を通じながら、次第に自分の生き方、「普通」とは何か、「狂っている」とは何か、といったことについて考えていく。死ぬまでに、生きてきた価値を見いだしたいと思うようになる。

 真っ向から精神病院を扱った作品を読んでも大丈夫かな、と心配もあったのですが、興味深く(物語として面白く)読むことができました。
 冒頭から、これは面白い、と思いました。第一に、文体で。これは訳者のお力でもあるのでしょう。それから、作中にパウロ・コエーリョの名前があったこと。作者がどう関係してくるんだろう、と気になりました。そしてその後、コエーリョの関与はともかく(それが面白くなかったわけではないですが)、やはり物語を面白く読むことができました。
 多々考えることはありました。たとえば、現代まで名を残している過去の「偉人」たちは、同時代には「狂っている」と評価されたこと。人間は猿が進化した動物であると提唱したダーウィン。現代ではこれは「常識」で、人間は創造主が作ってくださった存在で、あんな獣とは違うと主張する人々は、少なくともマイノリティのレッテルを張られ、非常識だのなんだのと思われることでしょう。地球が太陽のまわりを回っているなんてとんでもないことでした。また、私の研究の関連で知っている聖人にアッシジのフランチェスコ(13世紀没)という方がいます。彼は富裕な商人の息子でしたが、ある日回心し、財産を全て放棄し、時には裸になりながら民衆に説教をしました。また、小鳥にも説教したというので有名です。同時代では、フランチェスコの生き方に従う人々が多く、フランシスコ会という修道会まで誕生することになりますが、彼の家族はフランチェスコの行動を嘆いたそうです。…先に挙げた天動説の話など、先日読んだ島田荘司さんの『UFO大通り』の中で、御手洗さんがこれに言及しながら石岡さんの「常識的な考え方」を皮肉っています。
 話が飛びましたが、本書では、「常識」は、大衆が従おうとしている一つの価値規範にすぎず、自分の価値観を曲げてまで「常識」的に生きようとすることこそが「病気」ではないか、と指摘されています。
 印象に残っているのは、ネクタイのこと。ネクタイを見せられ、何かと問われたベロニカは、それはネクタイだと答えます。これを聞いたイゴール博士は、それは「完全に普通の人が答えるような」答えだと言います。「狂人」は、呼吸するのに邪魔になりそうな何の意味もない布だと答えるだろう、と。「完全に普通の人」は、なかなかその「狂人」の言葉に反駁できないでしょう。クールビズだのなんだのという言葉を聞きますが、なかなか社会からネクタイが消える気配は見られません。うっとうしいと感じながらも、「常識」の枠の中にとどまろうと大多数の方がなさっている結果でしょう。言うまでもなく、先の、過去の事例からも分かるように、ある時代(社会)の「常識」は、他の時代(社会)から見れば非合理でばかげたものだと考えられうる大衆の同意にすぎません。ネクタイ社会も「狂っていた社会」と言われる時代がこの後絶対にこないとは誰もいえないと思うのですが、はてさて…。
 読んでいる中で少ししんどくなったのが、マリーさんが入院するにいたったきっかけです。彼女はある日からパニックにおそわれるようになり、次第に症状が「悪化」していくために入院するのですが、そのパニックの描写がリアルだったのでした。
「普通」とか「常識」とか「異常」とか「おかしい」とか、日々意識する時間は多少なりともありますが、考え込んだり、素の自分を出すことは社会を正常に機能させている「常識」を覆す行為であって、奇異の目を向けられうるなどと考えたりすると、なかなか正面から向かい合わない問題だと思います。私もなんだかんだと感想を書いてきましたが、この直後からもうこういった問題に直面せず、「常識」の中で動こうとしていくでしょう。本書の趣旨でいえば「病気」の世界ですね。そう認識した上で、です。
 考え込むと、「日常」が送りにくくなってしまいます。ただ、こういった読書体験はその時間だけでも考えるきっかけになり、貴重だと思っています。大なり小なり感じていた価値観ですが、物語は様々な言葉や例でそれを示してくれます。
 素敵な読書体験でした。

(メモ)
 パウロ・コエーリョは1947年、ブラジルのリオデジャネイロ生まれ。世界中を旅した後、ジャーナリストなどとして活躍しているそうです。





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Last updated  2006.09.05 22:18:58
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