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2019.01.19
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石坂尚武『苦難と心性―イタリア・ルネサンス期の黒死病―』

~刀水書房、2018年~

 

 中世イタリアの黒死病に関する多くの論文を発表されている石坂尚武先生の単著です。先生の単著としては、本ブログでは​『地獄と煉獄のはざまで』​を紹介したことがあります。

 本書の構成は次のとおりです。

 

―――

表A~C

まえがき

 

序論 トレチェントの苦難

 第一章 トレチェントの時代と危機

 第二章 黒死病とは―その衝撃と原因

 第二章の補足 ペスト菌をめぐる近年の細菌学的研究

第一部 黒死病による苦難を都市・農村のレベルから見る

 第三章 黒死病による苦難の実態に迫る―総論的考察

 第四章 イタリアの都市・農村の大黒死病の死亡率―各論的研究

 第五章 地域研究の総括的展望―ベネディクトヴの見方に対する批判と評価

第二部 ペストによる苦難と心性を個人のレベルから見る

 第六章 人はペストにどのように対応したか―個人の生涯と心性から見る

第三部 中近世の黒死病の形態―概観

 第七章 イタリアの一五世紀の黒死病と中近世の黒死病

第四部 ペストによる心性を都市政府のレベルから見る―一五世紀フィレンツェの立法・政策・判決に心性を読む

 第八章 《峻厳な神》とペスト的心性の支配―総論的考察

 第九章 ペスト的心性の対応をフィレンツェの法令・制度・判決に見る―各論的考察

 第一〇章 結語

付録

 一 ベネディクトヴによる共同体の死亡率一覧(1348年の黒死病)

 二 フィレンツェのサンタ・マリア・ノヴェッラ聖堂の『死者台帳』による年代順死亡者リスト


あとがき

 

参考文献目録

―――

 

 全体で約520頁の重厚な著作です。そのためか、やや誤植などが見受けられました。大きいのは285頁「~実際に人的、物的交流は盛んであったであったからである。」→「盛んであったからである。」また、22頁「ペスト期という時代においては…神の意志に反する存在に対して厳しく対処した。人々は、神のご機嫌を損なうまいと、神の怒りを買うような存在に対して厳しい対処に出た。ソドミー、ユダヤ人、魔女、高利貸などに対して従来よりも厳しい対処に出るに至った。たとえば、高利貸について言うと、以前と変わって、ペスト後、フィレンツェの銀行家に対して罰則をもって厳しい追求がなされた…。」では、3文続けて「厳しい対処」という表現が見られ、例示の4文目も「厳しい追及」となっており、「厳しさ」の具体的な内容がイメージしにくかったです。

 しかし、以上は軽微な点であり、全体を通じて大変興味深く拝読しました。以下、簡単にメモしておきます。


 本書の方法論を述べるまえがきでは、ペスト期の人々の行動を心性の観点から読み解く研究の重要性が指摘されます。ここでは、東日本大震災や関東大震災を例に、「苦難」が「心性」に与える影響の大きさを指摘し、そして「心性こそは人びとの考え方や行動を根底から規定する最も本質的なものである」(10)と述べます。この引用部分は、本書を通じた著者の基本理念です。ないものねだりをいえば、心性史研究の研究史も簡単にふれておけば、より本書の意義も明確になったのでは、と思われます。(たとえば、手元にある心性史の研究史であるHervé Martin, Mentalités Médiévales. XIe-XVe siècle, Paris, 1996の目次を眺めると、時間、職業、女性などの項目はありますが、災害と心性の関連は見あたりません。2001年刊行のその第2巻でも、労働や預言などの項目はありますが、災害が見あたらないのは同様です。石坂先生の研究の新しさ、重要性がうかがえます。)


 第一章は、トレチェント=1300年代(=14世紀)のヨーロッパにおける戦争、災害(地震など)を論じ、それがペスト以外にも多くの危機にみまわれた時代であったことを示します。


 第二章は、史料に即して「ペスト」がどのように描かれたかを論じ(当時は今でいう「ペスト」という語も「黒死病」という語もなく、「疫病」とされていた)、具体的な症状を示します。また、こんにちの知見から、ペスト発生のメカニズムを紹介します。


 第三章は、教科書の記述などの多くがペストの死亡率を「三分の一」としていることに疑問を投じた上で、多くの個別研究を渉猟しまた死亡率の補正理論も唱えたベネディクトヴの研究に拠りながら、死亡率の誤差を補正する論拠を示します。それは、史料に描かれない貧民が無視されていることや、人口が密集していた都市での死亡率が農村よりも高かったという従来の見解に対して、衛生状況などから、農村での死亡率も高かったことを指摘することなどです。


 第四章は、ベネディクトヴやその他の先行研究に拠りつつ、1348年の黒死病によるイタリアの死亡率は50-60%であったことを示します。


 第五章は、ベネディクトヴが自明のこととしていた女性や老人の死亡率の高さを疑問視し、ベネディクトヴの見解を修正する試みです。また、ベネディクトヴが提唱する「標準想定」―史料に現れない人々を考慮するため、史料から読み取れる人口に一定の率をかけて調整する考え方―の弱点も指摘します。


 第六章は、多くの書簡を残し、一般の人の心性を読み取るのに最適のイタリア商人フランチェスコ・ダティーニを中心に、彼の生涯とペストへの対応を描きます。彼は存命中に6度ペストを経験しており、一回目(1348年)では両親と二人のきょうだいを失っています。こういった経験が彼の心性に刻んだ影響は大きく、存命中の行列への参加や、遺言での貧民や孤児への慈善事業につながった、と指摘されています。


 第七章からは、15世紀のイタリアに焦点を当てます。第七章は、当時周期的に繰り返されたペストと、それへの人々の反応(医学理論など)を紹介します。


 第八章は、美術作品などから、疫病=神罰と考えられ、《峻厳な神》の怒りを取り除こうとしていた心性があったことを示します。


 第九章は、さらに都市政府も同様の心性から立法などを行ったことを論じます。たとえば、こんにちでは人に危害がなく特に罰則も不要と思われる奢侈やソドミー(男色)が、神の怒りを招くということから、徹底的に非難され、それらを規制する立法や司法が行われた、というのですね。


 第十章は全体のまとめとなっています。


 あとがきで語られる、先生はもともと高校の教員をなさっており、そのかたわら論文を執筆し46歳で博士になられ、47歳で大学で専任として教えられるようになった、という経歴も興味深く拝読しました。もっと勉強しなければ、と思います。

以上、たいへん長い記事となってしまいましたが、たいへん興味深く読んだ一冊です。

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Last updated  2019.01.19 22:21:07
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