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M17星雲の光と影

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2006.11.20
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テーマ:感じたこと(2892)
カテゴリ:その他
人間は生物である。そして、生物の世界は全体として多様性を求めて発展してきた。単細胞生物という原初の一点から始まり、それが徐々に枝分かれする形で様々な生活様式、生存様式が生まれ、結果としてきわめて多様な生の軌跡が地球という巨大なキャンパス上に描き出されることになった。一言でいえば、それが生命の歴史だといっていいだろう。そこには価値判断の入り込む余地はない。いい、わるいの問題ではなく、ただそういうふうに生命体は活動を続けてきた。そういうことである。

単一なるものから多様なるものへ。そういう基本的な運動の方向性をまずは確認しておきたい。

人間も生命体の一員である以上、その方向性から自由ではない。好むと好まざるとに関わらず、人間存在はその流れの中に位置している。むしろ人間存在の内部にも多様性を求める生命体の必然が刻印されている。そう考えてもいいのではないだろうか。

視点を生物全体から人間世界という小さな領域に限ってみても、そこには一様なるものから多様なるものへの大きな動きが読みとれるように思う。

そもそも「社会」を作り出すことそのものが、多様性を求めることである。個体の世界の単一性にとどまるのならば、何も個を集団に束ねて「社会」など作る必要はない。しかし、人は社会を作り出すことによって、独自の生活様式である文化を作り出し、それを伝統として後の世代に継承してきた。それはおそらく人間の生存にも有利に働いてきたことだろう。

単一なる個を社会という集団に束ねるためには、「個の共生」ということが必要になる。
実はここがきわめて微妙なポイントである。社会の結束を強固なものにするためには、
個という部品を単一、一様なものにし、それらを強力な接着剤で固定したほうがいい。
しかし、そうするとその社会からは多様性が失われてしまう。ロゴのブロックのような部品で作ったお城は確かに堅固ではあるだろうが、その部品の一個一個には多様性は認められない。こういう多様性の拒否は生物の世界の自然な発展法則に反するものとなり、そこでは社会の健全な発展は望めない。

一方、個々の部品の多様なばらつきを一方的に肯定してしまうと、それによって築かれた「社会」という建物の耐震強度はきわめて脆弱なものとなってしまう。ばらばらの規格で作られたブロックを組み合わせても、あちこちが隙間だらけで、強固なジョイントを形成することはできない。

個体レベルにおいて、ある程度の均一性を保ちながら、集団レベルにおいてはある程度の多様性を実現するというむずかしい作業がそこでは必要となる。

私は教育の問題の本質は、この困難さの中にあるのだろうと考えている。

そこでは社会のルールの修得と社会生活で必要な知識、教養の修得が要請される。それと同時に、社会に多様性をもたらす自由な主体の形成も求められる。この二つの作業をバランスよく並行して行うことの難しさが、教育の難しさの本質だろう。

しかし、そこで忘れてはならないのは、冒頭に述べた生命体発展の大きな流れである。すなわち、「一様から多様へ」という潮の流れの再確認である。

やや乱暴な言い方をすれば、教育に関しては、多様性の方向へと動きが進行している時には、私はそれを黙認、追認していいのではないかと思う。その流れは基本的に生命体の発展の歴史に即している。だとすれば、しばらく様子をみればいいのである。トライアル・アンド・エラーは生命を維持する上での基本的戦略であると同時に、学習の基本法則でもある。基本的にはこれでいくしか方法はない。最近、きわめて評判の悪い「ゆとり教育」というものも同様である。そこに描き出された理想とその理想を実現する方策との間にずいぶんと大きく粗雑な溝が存在していることは明らかだが、(というよりも実現するための手だてそのものがほとんど考えられていない)それでもなおしばらくは様子を見たほうがいいと思う。

少なくとも口をきわめて「ゆとり教育」を批判し、それに対抗する手段として縦横のマス目にぎっしりと埋められた数字の列を使って単純計算を行わせ、そのタイムをストップウォッチで計って、自らの指導の正しさに陶然としている教師の顔などを見ていると、鳥肌が立ってくる。人間を一様にコントロールすることに微塵の疑念も抱かないような人間は教壇の前に立つべきではない。生徒の学力向上をうんぬんする以前に、正当な羞恥心をもたない人間を毎日目にしなければならない生徒の心理的損失のほうがはるかに大きい。健全な羞恥心よりも計算速度を重視するような人間に教育を語る資格はない。彼らに語ることのできるのは、ただ「計算能力の育成」だけだ。

教育というのは基本的に多様であるべきなのである。そして「生きる力」などという個別的な価値には学校はあまり口出ししないほうがよい。そういうものは子供に生命を吹き込んだ親が責任をもって伝えるべきものであり、学校の授業で身につけられるようなものではない。学校で「生きる力」を教えてもらおうなどと甘いことを考えていると、逆に学校に殺される事態を招きかねない。

それでも個体の生存維持の範囲を越えた社会的ルールの修得や尊重に関しては学校が関与する余地はある。しかし、それは教える人間がまず社会的ルールの意味を説き、それを自ら実践することを通して、生徒に伝えていくしかない。そういうものだろう。

高校における必修科目の未履修問題という不思議な事件が起こったが、これについてはどう考えればいいだろうか。

まず、文科省が必修しろといった科目を学校側が生徒に学ばせなかったというのは、なんというか、かなりいい度胸である。学習指導要領には法的拘束力があるということを文科省は口をすっぱくして言っていたし、それは教育の末端に連なる私ですら知っている。それを無視して、生徒に多様な学びを実現しようとしたのならば、なかなか見所のある学校だとほめてもいいくらいだ。

しかし、その実態は大学受験の必要性という一様なる価値への従属でしかなかった場合が大半であるらしい。

この場合、法的拘束力のある規約を破ったとしたら、教育者として行うべきことははっきりしている。未履修問題を起こした高校の校長は即刻首をそろえて辞表を提出すべきである。生徒に社会的ルールの重要性を説くのに、これほど好適な教育的な機会はないだろう。校長を辞職したからといって教職資格まで剥奪されるわけではない。問われるのは管理責任なのであり、辞職した校長は一教員として最初からやり直せばいいのである。それによって指導力不足が嘆かれる現場の教員の質の向上にもつながるだろう(多分に希望的観測ではあるが)。そうなれば一挙両得である。もちろん近日中にそのような動きは全社会的に起こるであろう。もしそのような動きが見られなかったとしたら、学校側は生徒の公共心や公徳心を云々する資格を喪失する。大学受験などというきわめて個人的な価値にとらわれ、「公的」な規約を踏みにじったのだから、それは当然である。「愛国心」、まさかそんなことばを口にする資格が彼らにあるはずがないではありませんか。

なんだか話がまとまらなくなってきたが、要するに教育が行うべきことは、まず第一に多様な選択肢の確保だというのが私のいいたいことである。そのためには教員の多様性をまず実現する。カリキュラムの多様性を図る。受験勉強の弊害などというが、それは受験をしなければならないという一様のルートしか社会に存在しないからである。受験の弊害を正す手段はただひとつ、受験しなくても社会的に不利にならないシステムを作るしかない。受験科目に見向きもせず、技術・家庭に特化した高校を出て現場でバリバリ働いて大学卒をはるかにしのぐ年収を得られるようなシステムを作れば、受験の弊害などはずいぶんと緩和されるだろう。要するに、基本的に一本の路線しかない電車の中で猛烈に押し合いへしあいを繰り広げている状態が、今の教育の現状なのである。この混雑を緩和するには、線路を複線化するか、停止ボタンを押して乗客を降ろすしか方法はない。私はそう思う。

多様性を目指す教育的な試みは原則「おっけー」、一様であることを目指す試みは原則「のー」。そういうおおざっぱな姿勢で臨み、後は試行錯誤を繰り返す。それでいいのであり、それこそが生命体の歴史に即した「生きる力」を育む唯一の道なのである。って、「唯一の」という表現はまずいか。もとい。たくさんある道のうちのけっこうましな道のひとつなのである。ずいぶん説得力に欠ける表現ではあるが、教育に関する提言の表記としては、これでいいのである。多様性原則おっけー、詮ずるところ、そういうことである。





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Last updated  2006.11.20 19:08:17
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和久希世@ Re:大江健三郎v.s.伊集院光1(03/03) >「彼はこう言いました。「それもそうだ…
kuro@ Re:「チャンドラーのある」人生(08/18) 新しいお話をお待ちしております。
あああ@ Re:大江健三郎v.s.伊集院光2(03/03) 非常に面白かったです。 背筋がぞわぞわし…
クロキ@ Re:大江健三郎v.s.伊集院光2(03/03) 良いお話しをありがとうございます。 泣き…
М17星雲の光と影@ Re[1]:非ジャーナリスト宣言 朝日新聞(02/01) まずしい感想をありがとうございました。 …
映画見直してみると@ Re:大江健三郎v.s.伊集院光1(03/03) 伊集院がトイレでは拳銃を腰にさして準備…
いい話ですね@ Re:大江健三郎v.s.伊集院光1(03/03) 最近たまたま伊丹作品の「マルタイの女」…
山下陽光@ Re:大江健三郎v.s.伊集院光1(03/03) ブログを読んで、 ワクワクがたまらなくな…
ににに@ Re:非ジャーナリスト宣言 朝日新聞(02/01) 文句を言うだけの人っているもんですね ま…
tanabotaturisan@ Re:WILL YOU STILL LOVE ME TOMORROW(07/01) キャロルキングの訳詩ありがとうございま…

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