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M17星雲の光と影

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2006.11.24
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テーマ:感じたこと(2892)
カテゴリ:その他
最近、公共の場におけるマナーの悪さがよく指摘される。その原因は公徳心の欠如にあり、ひいては倫理意識の低さの問題であるというようなことがいわれる。倫理とは要するに「いいか悪いか」という問題であり、その判断力の低下がマナーの低下につながっているというのである。

なんとなくうなずいてしまいそうな意見ではあるが、マナーというのは実は「いいか悪いか」の問題ではないと思う。人間は日常的にそんなにしばしば「いいか悪いか」を内面に問うているわけではない。いちいちそんなことを考えていたら、電車に乗って、会社に着くまでに、一日のおおよその内面的エネルギーは使い果たされてしまうことだろう。

もちろん倫理的判断が求められる場合もある。急病で倒れた見知らぬ人が同じ車両に乗っていた場合、あるいは乗客同士がもめている場合、自分が関与すべきかどうかを立ち止まって考える。これはまあ倫理の問題と考えてもいいだろう。

しかし、マナーに関しては多くの場合、われわれはそこで立ち止まって「いいか悪いか」を考えるわけではない。むしろ倫理的判断に要するエネルギーを節約するためにこそマナーが発明された。そう考えてもいいのではないだろうか。

だが、いくらエネルギーの節約といっても、われわれは公共の場で行動する時に、あらかじめ教え込まれたマナーに盲目的に従っているわけではない。やはり、そこにはある種の判断が必要とされる。しかし、その判断基準は「正しいか否か」というよりも、むしろ「美しいか、否か」ということであるように思う。

「みっともない」とか「見苦しい」ということばは、そういう場合に使われる表現だろう。だから、もしも最近マナーが悪くなったというのなら、それは要するに、街中でどのようにふるまうべきか、それに関する美醜の感覚が鈍くなったということではないだろうか。「こんなことをするとみっともない」、「見苦しい」、そういう制御装置がうまく作動せず、人前で平気で醜態をさらしている。現状はそういうことではないかと思う。

一年半前くらいから、休みの日に時折、小さな公園に住みついている何匹かの猫と接するようになった。そして、そのふるまいを見て、しばしば感心する。彼ら、彼女らは「見苦しい」と思われるような行いをほとんどしないのである。

猫たちは日常的に最低限の餌を近所の人に与えられているようだ。でもそれは飽食というにはほど遠い量だろう。以前、彼らの食事の様子を偶然目にしたことがある。30代くらいの女性が自転車に乗ってやってきて、ポリ袋に入ったキャット・フードを新聞紙の上に置き、公園のベンチの下に置く。猫たちは口々に小さな喜びの声を上げながら、そこへ駆け寄る。そして、黙々と餌を食べる。しばらくすると、一匹一匹とその場を離れ、顔の周辺についた食べかすを手で拭い、それをぺろぺろと舐める。そして、毛繕いを始める。もちろん食い意地の張った猫もいる。新聞紙に沁みた油をいとおしそうにぺろぺろと舐めまわす猫もいる。でも、ただそれだけだ。この間、互いに争うことはまったくない。それはきわめて静かな食事の風景である。

餌を求めて人間に「媚び」を売る猫もいないわけではない。彼らは時折餌ほしさに愛らしい声を出して近づいてきたりもする。しかし、それはあくまでも少数であり、また相互のつきあいの浅い段階にのみ見られることであるように思う。「ひのき」などは、餌をあげても食べないことが多い。最近ではこちらもまったく餌をあげなくなったし、彼らもそのことは十分に承知しているはずだが、だからといって、つきあいが疎遠になったということもない。彼らの見せる親しみの感情は、餌をあげるかあげないかということとはほとんど関係がない。彼らは私が公園のベンチに腰を下ろすと、ひょこひょことこちらにやってきて、顔をじっと見上げる。そして、ころりところがって、お腹をみせる。触ると満足そうにぐるぐるとうなる。ひとしきり再会の儀式が終わると、間近で背中を見せながら、あちこちと身体の毛繕いを始める。私の目には彼らはただそばにいることを楽しんでいるよう見える。そして、そういう私自身も彼らのそばにいることで気持ちが落ち着く。ほのあたたかいものがこころの中に静かに流れこんでくる。要するに、気持ちがゆたかになる。

そういうつきあいを通して、私には彼らの世界にマナーの感覚があり、見苦しさやみっともなさを厭う気持ちがあるように思えてならない。これは安易な擬人化だろうか。しかし、彼らは見ていて「見苦しい」行動をほとんど行わない。少なくとも通勤電車の中に棲息するホモ・サピエンスの集団よりも、彼らのマナー感覚ははるかに上である。そう感じる。

私はその理由を考える。何が彼らにマナー感覚を植えつけ、何がわれわれのマナー感覚を損なっているのか。どうもそこには「飢え」が関係しているように思える。それがとりあえずの私の仮説である。

目の前のベルトコンベアーの上を一定量の餌が絶え間なく流れている環境では、食べるのを止めるという節度はかえって働きにくい。そこでは満腹中枢は破壊され、食べることは自己目的化し、それと同時に「食」の新鮮な喜びは遠ざかる。一言でいえば「ブロイラー状態」である。われわれの日常生活はそれに近い。

これに対して野良猫たちは「軽い飢え」の中で生きている。満腹するところまで食欲を満たすには餌の絶対量が足りない。そこでは飽食は現実的な可能性として断念される。飽食の断念は、欲望の制限を要求する。そこに争いごとを持ち込んでもおそらく個体には利益よりも損失をもたらす可能性のほうが大きい。私の見るところ、いわゆる「獣欲」というのは人間特有の欲望であるように思う。猫たちはそれほどに利己的なふるまいはしない。そこには自然な節度があり、安らぎがある。闘いももちろんあるが、それは日常的なものではない。生活のステージが大きく変わる転換点でのみそれは行われる。そして、そういう節度の根底には、飢餓には至らないほどの軽度の「飢え」が存在しているように思える。

餓死にもつながりかねない重度の飢えは生物に大きな恐怖心を呼び起こし、時にはパニック状態に陥れるだろう。それへの反動として必要以上の食欲を昂進させることもあるかもしれない。しかし、軽度に飢えた状態では、欲望の制限は生存の危機にはつながらず、むしろそれは自然な感覚として受けとめられるはずである。

要するに軽い飢えは生物にとってきわめて自然な状態であり、飽食や過食は異常状態なのである。だから過食や肥満に対しては、生体はびっくりしてその本来の機能を破壊されてしまう。生物というのは軽い飢えのなかでこそ正常な感覚やモラルを発揮するように作られているもののようである。

こう考えてくると、人間社会のモラルを低下させているのは、公徳心の低下というよりも、むしろ「飢え」の喪失ではないのか。そう思えてくる。

そして、われわれの社会では肥満はなぜ「醜い」ものとみなされるのか。痩身を目指すダイエットがなぜあれほどの熱意をもって行われるのか。その理由が見えてくるようにも思う。

われわれの感覚は、まだかすかに正常さを保っているのだ。過食がどれほど生体の維持にとって危険なものか。適度な飢えがわれわれの美意識をどれほど正常に保ってくれるものか。少なくともわれわれの感覚はそれを知っており、無意識のうちにそれをわれわれに告げているのではないか。

われわれは適度な「飢え」を回復しなければならない。

今日の帰りの電車のなかで、盛大な音を立ててポリエチレンの袋を引き破り、得体の知れない菓子パンを頬ばる妙齢の女性の姿を横目で見ながら、そう思った。

私の眼には彼女は二本足で立ち上がった醜い豚にしか見えなかった。

豚はなぜ醜いか。これはそういうお話である。





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Last updated  2006.11.24 20:42:37
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和久希世@ Re:大江健三郎v.s.伊集院光1(03/03) >「彼はこう言いました。「それもそうだ…
kuro@ Re:「チャンドラーのある」人生(08/18) 新しいお話をお待ちしております。
あああ@ Re:大江健三郎v.s.伊集院光2(03/03) 非常に面白かったです。 背筋がぞわぞわし…
クロキ@ Re:大江健三郎v.s.伊集院光2(03/03) 良いお話しをありがとうございます。 泣き…
М17星雲の光と影@ Re[1]:非ジャーナリスト宣言 朝日新聞(02/01) まずしい感想をありがとうございました。 …
映画見直してみると@ Re:大江健三郎v.s.伊集院光1(03/03) 伊集院がトイレでは拳銃を腰にさして準備…
いい話ですね@ Re:大江健三郎v.s.伊集院光1(03/03) 最近たまたま伊丹作品の「マルタイの女」…
山下陽光@ Re:大江健三郎v.s.伊集院光1(03/03) ブログを読んで、 ワクワクがたまらなくな…
ににに@ Re:非ジャーナリスト宣言 朝日新聞(02/01) 文句を言うだけの人っているもんですね ま…
tanabotaturisan@ Re:WILL YOU STILL LOVE ME TOMORROW(07/01) キャロルキングの訳詩ありがとうございま…

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