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カテゴリ:母として 継母として
~~~次男 こんにゃく編~~~
今ではだいぶん落ち着いてきて、先生方にも高評価されるこんにゃくですが、 離席が激しく、問題視されていた時期がありました。 それは、2年の3学期ももう残りわずか、という時期に、 「最近、授業中に立ち歩くことが多く、反抗的で困っている」 という担任からの電話で知らされました。 その頃のこんにゃくの家庭での様子は、 精神的にも行動的にも比較的落ち着いていた時期でしたので、 「なぜ、今になって?」という気持ちでした。 こんにゃくが1年の頃、 だいこん母はそれまで何かしら感じていた育てにくさと不安とを持て余して、 児童相談所と、担任の先生に相談を持ちかけた事がありました。 留守のご近所宅に勝手に上がりこんでいるなど突拍子の無い行動が多く、 車に轢かれそうになったり(一度は足を轢かれました。無傷で済んだけど…)、 「怪我をしたので、病院に連れて行きます」 という担任の先生からの呼び出しが多く、ADHDを疑っての相談でした。 担任の先生は、だいこん母の不安を一蹴し、 何を言っても「お母さんの愛情不足ですよ」と繰り返されました。 児童相談所では、一通りの検査をした結果、 「発達のアンバランスさは見受けられますが、大きな遅れも見受けられないですし、担任の先生も問題なしとおっしゃっておられたので、様子を見ましょう」と言われました。 結局、だいこん母としては『母親が悪い』と余計追い詰められた気持ちを強め、 うつ病になっただけで終わった相談でした。 だけど、それでも毎日のように続くご近所へのお詫び、 いけないことはいけないと言い続けても、 なかなか伝わらないもどかしさに変わりはありません。 それからは『こんにゃくに伝わる接し方』を求めて、ADHD関連の本を読み漁りました。 そうして出会った『ペアレント・トレーニング』を生活に取り入れて、 ようやくこんにゃくが落ち着いてきた矢先に知らされた学校での異変でした。 電話があった翌日、たまご父は担任の先生との面談に行き、 だいこん母はすぐさま児童相談所に赴き、担任の先生の言葉を伝えました。 再度、児相での医師の診察、児相職員の学校での調査。 前回の比ではなく、綿密に調査されました。 こうして『ADHD』という診断結果が出た後に、児相の担当者の方がつぶやかれた最後の一言が印象的でした。 「先生はあくまでも『お母さんの愛情不足だ』とおっしゃっておられましたがねぇ…」 『愛情不足』 定型発達であれ、非定型発達であれ、 この言葉に泣かされたお母さまは多いのではないでしょうか? 奇しくも、 継母であれ、実母であれ、私は二人の子どもの『母』としての立場から、 『愛情不足』と糾弾される経験をしました。 もし。 この日記を読んでくださって。 何かしら感じていただけたなら。 どうぞ、お願いです。 あなたの身近におられる『悩んでいる母』に、 愛情不足の鉄拳をあびせるのは少し待っていただけませんか? 「辛かったのね」 「悲しかったのね」 そういう気持ちを受け止めてもらえるだけで、 明日への活力を見出す人間もいるのです。 『裁くより、まず共感を』 そうしていただけるだけで、 助かる母親も。 子どもたちも。 たくさんいるのです。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2007年01月22日 12時44分15秒
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