テーマ:お勧めの本(7217)
カテゴリ:昭和恋々
あのころというのは、昭和14、5年のことである。 なぜ明るかったかというと、お正月だけは、茶の間の電燈が普段の60Wから100Wになるからである。 座敷と茶の間が60W、子ども部屋は40Wで廊下とお手洗いが20Wというのが決まりだったから、10Wは嬉しかった。 大晦日の掃除が終わった後、母が座敷の箪笥から大切そうに100Wの電燈を取り出すと、私たち子供は、冷たい廊下を爪先立ちながら、ゾロゾロ母の後をついていったものである。 まず、茶の間の電気を消す。 それから少し黒ずんだ60Wを外して、母が袂へ入れ、慎重な手つきでゆっくり100Wに替える。 スイッチをひねる。 お正月のために畳を替え、障子を張替えたせいもあって、見違えるように明るく、きれいな茶の間である。 私たちは、ワッと歓声を上げる。 茶箪笥の上の鏡餅がピカピカ光っていた。 元の60Wに戻ったのが、5日だったのか、7日だったのか、それとも15日だったのか・・・それは覚えていない。 「昭和恋々」久世光彦 私のうちは、40Wの灯りがたったひとつあるだけだった。 その灯りに長めのコードをつけて、土間に回したり、座敷に回したりして、使っていた。 台所には、20Wの灯りがあったけれど、食事は、いつも座敷だった。 風呂場には、ランプがあったけれど、壊れていたのか、使ったのを見たことがなかった。 もっぱら、月の明かりが頼りだった。 +++ 夜、牛乳の紙パックを持って市役所の出先機関に行った。 8時を過ぎているのに、誰もいないはずなのに、煌々と灯りが灯っていた。 市役所の出先機関だけではなく、あちこちにあるコンビニの、なんと明るいことか。 +++ 私の子どもの頃の灯りがいいとは言わないけれど、夜、遅くまで、煌々と輝く必要はない。 もしも夜が暗かったら、月や星の明かりや、電燈の灯りは、もっと嬉しいものになるだろう。 あけましておめでとうございます。 本年もどうぞ、よろしくお願いいたしますm(_ _)m ◎自然と人間が仲良く暮らしていたころの話です。 ★1月1日*トリビアの井戸:正月はなぜ三が日か。 * UP ・・・・・・・・・・・・・ お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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