テーマ:映画館で観た映画(8350)
カテゴリ:映画
星が動く。時代が動く。 囲碁の御三家に生まれた安井算哲は、星を眺めることを最も愛し、天の真を地に生きる全ての人に恩恵として届けること(=天地明察)が夢だった。 当時、暦は800年間も間違ったものが使わていた。 しかし、暦は全ての行事を司る人民の支えであり、暦を司ることで、権力と人心と莫大な利権を得られたため、改暦は強大な敵への挑戦を意味した。 時の重鎮たちはなんとか改暦を行おうと、探究心と非凡な才能を持つ算哲に託したのだが、暦の作成は困難を極め、失敗と挫折を繰り返していた――。 2010年吉川英治文学新人賞、本屋大賞を受賞した冲方丁のベストセラーを、『おくりびと』の滝田洋二郎の手によって映画化。 当時の日本では、今よりも日付が厳しく守られ、年中行事が行われていました。 農作業をするにも、暦に書かれた二十四節気(夏至や冬至など、1年を24に区切り、季節の移り替わりを示すもの)に従い、種をまく日などを決めていたのです。 算哲は、この二十四節気をさらに細かく区分した七十二候を日本の日付に合わせ、独自の季節を表す言葉に変えました。 その言葉で人々は季節を知り、それに応じた生活を営んだのです。 今のカレンダーは月日と曜日だけだけど、昔の暦は生活そのものだった。 だから、算哲は人々が使いやすいように身近なことを取り入れたという。 9月17日~9月21日は「玄鳥去る(つばめさる)」という。 ■日本で過ごしたツバメが■秋になると暖かい南の地へと飛び去る頃という意味だ。 「八十八夜」や「二百十日」という言葉もより庶民が親しみやすいようにと算哲が採用したのだそうだ。 しかしこの算哲という人、ものすごい才能の持ち主。 将軍家に囲碁で仕え、趣味は天文学、数学!! 算哲の行きた時代の江戸では算術が庶民の間まではやっていた。 絵馬に問題を書いて奉納する人がいるかと思うと回答する人がいる。 算術を楽しんでいた。 そのレベルは高く1900年のノーベル賞と同じことを100年前にやっていたそうだ。 その中でも関考和は、ずば抜けていて和算の功績のほとんどが関の功績だという。 今なら、ノーベル賞ものの人が貧しい長屋で子どもに算術を教えて暮らすなんて、もったいない!! 関も算哲のチームに入れて欲しいわ。 なんで頼まなかったの?算哲は? 関が入ると自分が目立たなくなるから?と疑ってしまうほど、関は天才なのだ。 算哲は、この時期のビッグネームとも面識がある。 ★会津藩主・保科正之 二代将軍秀忠の子で、重鎮として将軍に色々な政策の助言。 年金のような制度を日本で初めて作るなど、庶民のことを考えた政治を行った名君。 ★水戸光圀 水戸家二代目藩主。 学問が好きで、儒学の研究をしたり、書物を集めたり、歴史書を編纂したり・・・。 ★将軍★本因坊家などなど華やかだ。 当時の天文の観測などが分かって面白い。 ・・・・・・・・・・・・・ ◎自然と人間が仲良く暮らしていたころの話です。 ★2012年9月20日*里山・・・種蒔き* ・・・・・・・・・・・・・・ お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2012.09.20 21:01:12
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