「菊の花」 中野重治
中野重治という名前を聞いて、作家や作品のイメージがピンと来るという人はいらっしゃるでしょうか?実は私は、一度も読んだことがなく、名前は国語の授業で聞いたことがあるだけ。確かプロレタリア文学?とすると、読み物としてはあまりおもしろくもないかも・・・という程度の知識しかありませんでした。でもたまたま、この短編を読んでみて、ほんとうに驚きました。今まで何も知らないで、読まずに来てしまって、もったいなかった。もっとたくさんの人が読んで、この雰囲気に触れてもいいのに。何より、この本はとてもやさしく、清らかです。小学生にも読めます。心を静かに保つのに、とてもいい本です。子どもの頃から野の花が好きだった私は、牢屋に入ってからは、花が見られなくてとても寂しかったが、ある日、おっかさんが菊の花を差し入れてくれた。私はその花を牛乳瓶にさして、高い窓からさして来る日の束が花にこぼれかかるよう、陽だまりの移動を追って、部屋のすみからすみへと移った。「おっかさん、おっかさん、こうして菊の花に日があたっているうちは、おっかさんの小さい体にも日があたれ。」このやさしい、花を愛する主人公は、なぜ牢屋に入ったんでしょう。それはほとんど何も語られていないけど、「わるい人がたくさんいて、無理につれてきたんだよ。」「私がいいことをするので、わるい人たちにそれが困るというのでつれて来た」というところから、たぶん思想犯であろうということがわかります。菊の花は牢屋の中で、だんだん小さくなっていくが、美しさはますます立派になっていく。一つ一つの花びらは研ぎだしたようにつやをおびている。菊の花はこう言います。「それが花のこころです。どういうわるいところへ入れられても、そこでありったけの力で生きていく。これが花のこころ。花のいのちです。」物語はただこれだけです。何の説明もないし、その後のことも書いてありません。でも、「私」のやさしさと、菊の花の気高さには胸をうたれます。この主人公は思想犯かもしれない。正しいと信じる道を自由に生きられなかった時代の話ではあるけれど、自由に生きているはずの現代人の、不自由さをたとえたような話とも受け取れます。私の偏見かもしれませんが、世の中のほとんどのものが、どんどん濃く、どぎつく、あざとく変化していってるような気がする。うすくてはかなくて、話題にならないものは、どんどん見過ごされて忘れられていってしまう。食べ物だって、ちょっとばかりおいしいものには見向きもしない。有名なシェフが最高の食材を使った料理ばかりがもてはやされる。テレビだって映画だって、ほんのりおもしろいものじゃ、話題にもならない。本だって。評判になる本は、たいていどぎつい。ストーリーはこれでもかとこね回され、泣かせるとなれば何度でもどこまでも泣かせる。ミステリーの残酷さときたら、昔とは比べ物にならない。宣伝文句は、人の感情をかき乱すように、あざとい。もちろん、全てがそうとは言わないけれど、私は少々疲れ気味です。本は、読んでしまって「あーおもしろかった。」と、パタンと閉じるおもしろさもあるけれど、読んだ後の自分との対話が楽しい本もある。この「菊の花」は、文句なく、後者です。これからの時代に、どれだけ出会えるんだろう。こんなに素敵な本に。そして、そんな楽しさを、どれほどの人が知っているんだろう。地味だけど、読んでおいて絶対損はないですよ。自分と対話する楽しみを、ぜひ味わってみてね。この物語は、中野重治の童話集「おばあさんの村」に収録されていたそうですが、絶版となり、今は「新・ちくま文学の森 いのちのかたち」に入っているそうです。こちらもどうぞ