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2014.12.01
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カテゴリ:書籍



高野山

高野山


 虚空尽き、衆生尽きなば、涅槃尽き、我が願いも尽きん(125ページ)

著者・編者松長有慶=著
出版情報岩波書店
出版年月2014年10月発行

夏休みに高野山と比叡山を訪れたので、復習の意味で本書を手にした。著者は、高野山大学名誉教授で高野山真言宗管長の松長有慶さん。

高野山を訪れて意外だったのは、ごく普通の田舎町に見えたこと。「現在の高野山は人口およそ二千数百人。そのうち僧侶はほぼ一割、大多数は在家の人々によって構成されている」(13 ページ)そうである。学校からコンビニまで何でもある。
もうひとつ、「比叡山は山頂に立てば、東は琵琶湖、西は京都の市街を遠望することができる」(15 ページ)のだが、高野山は盆地になっており外界を見下ろすことができない。「このように異なった地形の中で生まれ、育った真言・天台両宗の歩んだ足跡は、対照的な歴史をそれぞれが刻んできた」(15 ページ)ということである。
そして、高野山奥之院にある膨大な数の墓に驚かされたが、他宗派の創始者の墓まである。これは「異端者であっても、反逆者であっても、みんな知らぬうちに包み込み抱き取ってしまう真言密教の包摂の原理」(56 ページ)によるものだという。

「真言密教では、人間と自然は対立関係にあるのではなく、ミクロコスモスとしての人間と、マクロコスモスとしての大自然とは、本質的に一体、不二の関係においてあると考える」(118 ページ)という。これはキリスト教に似ているが、日本人は「物質にいのちを認める」。

空海は 835 年に 62 歳で死去するが、醍醐天皇の治世である 921 年 10 月、朝廷から弘法大師という贈り名が届けられた。「このころから、大師は高野の山に今もいまして、人々に救いの手を差し伸べられておられるという入定留身の信仰が、日本全国に広がっていく。」(123 ページ)
仏教宗派の中で、開祖が生きて人々を見守っているという信仰をもつ人物は弘法大師に限られる。それは、大師が 832 年、「虚空尽き、衆生尽きなば、涅槃尽き、我が願いも尽きん」(125 ページ)という壮大な願いをかけたことによるという。生きとし生けるものがいる限り、大師の救済活動は続くというのだ。
空海の死後、高野山は何度か盛衰を繰り返すが、1023 年に藤原道長が参詣すると、上皇や貴族の高野詣でが流行するようになる。そんな中、高野山は念仏も禅も受け入れた。
南北朝の動乱期、高野山は両陣営の勧誘を退け教学の研究に邁進し、室町時代に「応永の大成」と呼ばれる真言教学のピークを迎える。

松長さんは「あとがき」で「社会性と非社会性を一人の人格の中で見事に融合させた大師の生涯は、複雑な問題を抱えた社会を生きる現代人に、今なお理想的な生活規範の一端を示しているとみてよい」(223 ページ)と結んでいる。
バーチャルリアリティがいくら進歩したとしても、高野山に一度登ってみないと味わえない感覚である。










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最終更新日  2014.12.01 20:10:06
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