クリニックの閉院
2014/01/10 15:55【スタバ】久しぶりにブログを更新してみる。約3ヶ月ぶりになるだろうか。あまり見ていただいている人はいないのだろうけれど。。。約3ヶ月前の記事ではスターバックスでWiFiにつなぎ、iPod touchで更新していた。今もスターバックスに居り、同様にiPod touchをWiFiにつないでいる。でも、久しぶりにブログを更新しようと思い立った時に、先ずはポメラを使うことが頭をよぎった。なので、今はポメラを使ってブログを書いている。なぜかポメラでブログを書くのが心地いいのである。この3ヶ月で何が起こったのだろう。ブログを振り返ってみると、昨年の7月中旬に休職に入ったとある。その後、10月後半にリハビリ出勤し、11月から復職となった。所属する課が変わり、復職からあまり日が経っていないということもあるのだろうが、たまに雑用を頼まれるが、仕事がない状態で時間をやりすごすのが非常に苦痛である。軽うつのせいだと思うが日内変動があって、午前中は非常につらい。毎日午前中は会社を辞めてしまいたいと考える。午後になるとやや苦痛は緩和されていく。そんな毎日である。そして何とか昨年末まで無事に勤務し、年明けの一週間を乗り切ったところである。さて、本題。これがなかったらたぶんブログを更新していなかっただろう。今年に入ってからの初めての通院は1月9日(木)だった。いつも通り診察券と月初めなので健康保険証、自立支援の受給者証を用意してクリニックへ入ると、パウチされた大きな紙がカウンターに掲示されていた。クリニックの閉院の通知だった。とうとう来るものが来たかという思いがよぎった。閉院は3月末ということだった。私の通っているクリニックは高齢のご夫婦で診察されていて、ご主人の具合が悪く、しばらく診察をされていなかった。おそらくご主人の復帰は難しく、奥さんが介護をしなくてはいけなくなったのかもしれない。ちなみに私を診察してくれていたのは奥さんの方である。初診は2001年11月なので、実に12年以上通い続けたということになる。離婚して10年も経ったが、それよりも前だ。最初は仕事と家庭での悩みが原因の抑うつ状態ということで通い始めたのだが、2006年頃に躁うつ病になり、障害手帳と自立支援を申請し、おそらくは一生精神科とは付き合っていかなければならない状態となってしまった。その間、4度の休職をした。その12年間の私の精神状態をつぶさに看てきてくれたのが奥さんの先生である。もちろん私の性格なども熟知している。その先生がもう診察してもらえないということは痛手である。しかし、転院ということはよくあることだから、精神科の通例で転院元の先生が転院先の先生に診療情報提供書というものを書いて患者を引き継ぐ。そして、今回もそういうことにはなる。しかし、12年間先生の頭の中に蓄積された私のカルテは失われてしまうといってもいいだろうと思う。A4一枚にもならない引継書で表しようもないのである。今のクリニックは会社の産業医の紹介だったので、まずは今の産業医に報告をした。紹介当時の産業医は何の迷いもなく今のクリニックを紹介してくれたのだが、今の産業医は会社の健康管理センターのメンタル科の医師にも聞いてほしいとのことで心許ない。なんとなく今のクリニックのようなところを見つけることは難しいのではないかと思っている。これからのことはどうなるか分からない。良くなるかもしれないし、悪くなるかもしれない。今思えることは、今までの12年間が良かったのか悪かったのかというと、もちろん精神病なんかになってしまうことは悪いことなのだが、その境遇としては、会社を辞めることにならなかったので、良かったのではないかと考えている。そういう意味では今の主治医に感謝をしている。たぶん特別な部類の患者であったのではないかと思う。通い初めて診察を受けてもなかなか症状が改善されず、初めて診断書を書いてもらって会社を長期休業したこと。やっと合う薬に巡り会って会社に復帰したこと。症状が改善されたのに長々と通院したこと。躁状態になり、その後うつ状態となり、会社の休職期限が迫った頃に精神病院への入院を勧められたこと(これは断った。断らなかったら会社は退職していた)。奇跡的に休職期限ぎりぎりに復職できたこと。そして逃れられない躁うつ病の苦しみ。12年間のことが走馬燈のように浮かぶ。精神障害となってこれで一つの区切りがついた。しかし、苦しみはこれからも続く。一緒に戦ってくれる医師と巡り会えることを祈りたい。