バイクに乗るようになってから思うこと
昨日のブログでは、バイクに乗るのは来週あたりと考えていたが、天候が良いので今日乗った。
明日は会社で疲れを残す訳にはいかないので、往復で100km程度のとある道の駅までのプチプチツーリングである。それでもどういうわけか、疲れがどっとでた。長々とテレビを見た後の疲れと一緒である。自宅に帰ってからテーブルに突っ伏して疲れをとった。やはり平日の影響だろうか。
やはりバイクに乗ると気晴らしになる。基本的にアウトドアが好きなのだ。fireTVを買って、今は寒いのであまりバイクには乗らず、ビデオを見たりはしているけど、何となく鬱々としてくる。昔はよくレンタルしてビデオを見たけれど、今はそういう気があまり起きない。
初夏あたりで長野の高原なんかをツーリングなんて最高である。不遇な人生を一時忘れさせてくれる。でも、バイクに乗るようになってもいいことばかりではなかった。
2年前、思い立って大型の免許を取ろうと教習所に通い始めた。中型の免許を持っていて、現役で走っていればまず取れないことはないという話であり、それなら大丈夫なんだろうと軽い気持ちで受けた。
しかし、事情が違った。自分だけが違ったのかもしれないが、意外とハードルが高かった。体力が弱っていたのかもしれないし、躁うつ病の薬のせいかもしれないが、教習を受けてもとても受かる気がしなかった。大型免許を取るのに膨大な時間をかけている人がいるとかネットで見て、心が折れた。
ここで、健常なら一念奮起してやってやろうじゃないかとなるのかもしれないが、メンタルを病んでるとそうはいかない。どう考えてもハードルが高いなと思い逃げた。教習所の教官の少し威圧的な教え方にも嫌悪感があった。傷口が広がらないうちにと、さっさと諦めて退校手続きをした。
そんな一件があって、トラウマが残った。普通の人なら受かるのに自分は挫折したこと。バイクで走っていては周りは大型バイクばかり。劣等感が頭をよぎる。いいかげんそんなではバイクに乗ってられないので、中型で何が悪いと割り切るようになったが。それでも女性が大型バイクに乗ってたりすると、劣等感が最高潮になり、とてもじゃないけど心穏やかではなくなる。幸いそういう場面には早々でくわなさないが。
再挑戦する気はない。400CCのバイクに乗っていて疲れてしまうのである。大型バイクに乗るには体力がないしお金がかかる。バイク友達でもいてその人が大型に乗っていて、応援されたりなどしたら分からないが、所詮孤独な精神障害者のささやかな楽しみである。頑張ることはない。それに、400CC以上のバイクには車検がかかるから、維持費用がばかにならない。今のバイクをできるだけ長く乗ろうとは思うけど、廃車同然になったら250CCの車検の必要のないバイクにしようと思っている。
それから、バイクで走っているとどうしても自転車(ロードバイク)で走ってる人やランニングしている人をよく見る。特にランニングをしている人が増えていると感じる。
バイクに乗るようになって、すっかり体力が落ちてしまったと感じる。
精神疾患になって、ほぼうつ状態で何年も過ごしてきたから、まずその時点で体力は奪われたのだが、それでもウォーキングをしたりして衰えてしまった体力を少しでも維持をするようにしていた。しかし、バイクという楽しみを得たのと引き換えにそういうことをしなくなって、皮肉にも体力は衰えていく一方である。
昔、高校大学とテニスをしていた。それなりの体力はあったし、もし病気にならずテニスを続けていたら状況はかなり違っただろう。自転車で走るかランニングをしたかどうかは分からないが、体力を使う側か使わない側かどちらになったかと言えば、前者であったと思う。だから、バイクで走っていては自転車や走っている人を見ると複雑な気持ちになるのである。もし自分が病気にならなかったら、あちら側の人間であったはずだと。
もしかしたら、休日は大型バイクに乗ったり友達とテニスしているなんて自分になっていたのかもしれない。それと比べたら見る影もない。
こうして情けない今の自分をブログという空間でさらして毒を吐き出すだけだ。