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テーマ:ミニカー大好き
カテゴリ:F1
音速の貴公子アイルトン・セナの事故死から30年。33回忌法要という風習のない欧米では30年というのは節目の年だろう。サンマリノGPは紆余曲折あってエミリア・ロマーニャGPと名を変え、現役ドライバーで一番歴の長いフェルナンド・アロンソであってもセナとは競い走っておらず、時の流れを感じざるを得ない。かくいう拙も当時は生粋のアンチ・セナだったのが、美味しいランチのお礼に無給でミナルディに乗る姿を見たかったし、モチベーション低下とか理由はともあれ事故なんかじゃなく自分の意志で引退するラストレースを見たかったとか思うようになったわ。今となればセナが嫌いなんじゃなくて、セナ様セナ様とやたら持ち上げるメディアとそれに唯々諾々と従う一見さんにわかファンが嫌いだったんだなあと思い至るわけで、まぁ若気の至りというわけだ。そりゃなんたって30年前だもんよ。
セナのいた季節は、1984年から94年までの11シーズンだが、日本においてはフジテレビが全戦放映を始めた87年をセナ様元年とすれば8シーズンか。ターボ全盛期からホンダ排除の全車NA化、ハイテクデバイスの隆盛と衰勢といった時期。そんな時代をセナの搭乗マシンを縦軸にざっくり浚ってみようかというのが今回の趣旨だ。 1984年 タメオ1/43 トールマン TG184 ハート 1984年モナコGP 2位 英国F3を制してウィリアムズ、マクラーレン、ブラバムのテストを受けるもチーム事情スポンサー都合でシートに空きはなく、下位集団から脱皮しつつあった新興トールマンよりF1デビュー。雨天によりマシンの性能差が小さくなったモナコで大暴れ。2位に躍り出てあわや優勝かというところでレースは強制終了。細かいことはこちらの記事で。 84年と言ったらこの3台のドライバーだろう。モナコのハーフポイントが響いてチャンピオンを獲り損なうアラン・プロストと、非力なノンターボ・ティレルでセナの更に後方からスタートして3位に滑り込んだステファン・ベロフ(のち失格)。 どうみてもプロストタイプというよりセナタイプのベロフは翌年耐久レース中に事故死。若くて速いセナとベロフがツインタワーとして引っ張ったF1サーカスはどんな世界だったろうね。 それはともかく、セナはこの洗練されたとは言い難いマシン(けど、デザインはのちにベネトン・フェラーリで大輪の花を咲かせるロリー・バーン)で3度の表彰台を記録するも満足することはなく、契約が残っているにも拘らず翌年ロータスに移籍。強引な移籍劇でロータスを追い出されることになったのは、大英帝国の愛すべき息子ナイジェル・マンセル。 1985年 ミニチャンプス1/43 ロータス 97T ルノー タバコ問題でJPSがないのは仕方ないとして、モノコック側面のゼッケンやサイドポンツーン上のウイングレット、同じくスリット状のエアインレットから初期型(開幕戦と第2戦)なんだが、リアウイングの構成がそのどっちにも当てはまらないというなんちゃって97T。まぁセナ初優勝のポルトガルGPを再現したかったのかもしれないが、それにしてはレインタイヤじゃないし、急改造リア翼端板の段差もないし補強ロッドも再現されてない稚拙な考証だが、それでも発売時は喜んでホイホイ買ったもんだ。スパークから新作がアナウンスされてるんで(予約済み)それに期待しよう。 1986年 アルタヤ1/43 ロータス 98T ルノー 1986年ブラジルGP 2位 前年の初優勝(プラス1勝)で若手有望株の一人から完全に脱皮し、98Tでも2勝しチャンピオン争いに名乗りを上げた。 ロータスのセナ、ウィリアムズのピケとマンセル、マクラーレンのプロスト、所謂F1四天王。良くも悪くも90年代前半にかけてのF1は四天王を中心に回っていく。 1987年 レーヴコレクション(スパーク)1/43 ロータス 99T ホンダ 1987年モナコGP 優勝 タメオ1/43 ロータス 99T ホンダ 1987年アメリカ東GP 優勝 レーヴコレクション(スパーク)1/43 ロータス 99T ホンダ 1987年日本GP 2位 セナが嫌い言う割に揃っちゃってんじゃん、セナ大好きやん自分(笑)。いやまあF1を歴史的に集めようとすれば避けて通れないっつーか、好き嫌いなど言ってられず否応なしに揃っちゃうわけで。当時はNPBじゃないが「実力のウィリアムズ、人気のロータス」で、戦績の割にはモデルに恵まれてるよね。てか戦績が悪いから突貫工事でグランプリごとにあれこれいじくりまわしてくるわけで、その分ミニチュアのバリエーションも広がるという好循環(実車としては悪循環だが)。 セナはこの年も2勝を記録。アクティブサスという足枷がなきゃもっと望めたかも知れないが、そこはそもそもセナ本人が執着したからで仕方がない。それは97T→98T直系の(変わりばえしない)99Tでは何勝かは期待できるがライバルを完全に出し抜くためにはサムシングエルスが必要と直感したのかも知れない。結局JPSよりも潤沢と言われたキャメル・マネーは、アクティブサス関連の高額部品代に消えていき、チーム・ロータスの終わりが始まった。 1987年はやはり(好き嫌いに拘らず)日本人初のレギュラードライバーの誕生、だろう。明らかにホンダのバーターであり、チームメイト選びには極めてナーバスだったセナもさすがに無碍に扱う訳にいかず、色々と教え導いた。その結果がイギリスGPでのホンダ1-2-3-4フィニッシュに結実。 1988年 デアゴスティーニ(イクソ)1/24 マクラーレン MP4/4 ホンダ 1988年イギリスGP 優勝 アイドロン1/43 マクラーレン MP4/4 ホンダ 1988年日本GP 優勝 2023年にレッドブルRB19によって記録が破られるまで最高勝率93.8%(RB19は95.5%)を誇った最強マシン。他のどのマシンよりも低いシルエットに高出力エンジンの組み合わせでシーンを席巻した。このマシンで、セナは(後年に比べれば)比較的穏やかにワールドチャンピオンを獲得。 1988年シーズン16戦の勝者。たったの3人。とはいえフェラーリの1勝も殆どセナのミスとは言わないが、プロストリタイアでトップ独走状態の慢心が招いた結果と言えなくもない。この年はモナコの自滅リタイア等まだ青さが残っていた。 そしてセナの電撃移籍であおりを食った四天王たち。 ピケは辛くもホンダエンジンは確保できたが、それを載せるシャシーがウドの大木でマクラーレンに大きく水をあけられた。それでもマンセルよりはまだマシかもしれない。チーム運営への不満からエンジン供給をバッサリと切り捨てられたウィリアムズは、ジャッドエンジンを積むしか手立てはなく。。。 もう一台。20“16”年に発売された、1988年戦日本GPの決勝“16”周目にプロストをかわしてラップリーダーとなったゼッケン“16”のマーチ881。マシンデザインは、昨今その去就が喧しいエイドリアン・ニューウェイ。もちろんセナ最後のマシンとなったFW16(おお、ここも16だ)もニューウェイのデザインであり、ノーズセクションやホームベース型のコックピット開口部をはじめ随所にその萌芽が認められる。 と言う感じで、F1デビューから初戴冠までのセナとその周辺を相当ざっくりと浚ってみたが、次回はいよいよ昼ドラも真っ青なドロドロの愛憎劇へご招待(んなわけない)。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2024.05.12 04:05:51
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