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2018.08.28
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カテゴリ:憂国の嘆き
昨日、BSフジの番組内で国民民主党の党首選立候補者をゲストに招いていた。

まあ結果としては「やはり」と言うしかない。
政府の存在意義であるところの「安全保障」に何らの危機感を抱いてはいないのではないか?と感じる。
彼らは、一応に議論している。とのたまう。
「議論さえしていれば、国家の安全が保障される」」などということはない。
(このあたりは、少なからぬ国民にも見受けられる傾向ではあるが。。。)

「議論が抑止力となる」
これは幻想でしかない。

例えば、我が国が「国防論」を戦わせ、「国防を注視する姿勢」を示したとしよう。
そうなれば、当然困る国というのがある。彼らは、そのようなけ我が国の姿勢に対して、自らの国の軍事力強化を掲げてくるであろう。そして、彼らは、それを現実化する。その一方、我が国のほうは議論ばかりして「何らの結果も出さない」ということになればどうなるのか?

わが方は何もせず、他方は軍事力を強化する。
我が国にとっては、悪い方向にバランスは崩れていく。

だからこそ、「議論すらしないほうが良い」このように感じられる方もおられよう。
他方は、我が国の意向に関係なく、侵略的意図を持ち、それらの実現に向けて動いているのである。
つまりは、我が国の議論など、他方にとっては「言い訳」でしかないのである。

よって「議論は抑止力になる」というのは戯言にすぎないのである。
「議論」は議論するためではなく、一定の「結論」を得るための手段なのである。
決して「手段」を目的化してはならないのである。(「手段の目的化」は愚かである)

まあ「議論していればよい」と考えるのは、おそらく、「何かあれば政府が適切な対応を取ってくれる」という信頼感がそうさせるのだろうが。。。(結局は他人事なのである。)

また外交面において「米国との距離感」に言及していたが、「米国に追従する姿勢は良くない。もっと自主的な判断をしていくべきだ」このようにこれまた「他人事」のように簡単に述べる。

ペリーが我が国へ軍人のみを乗せ、我が国に「開国」を迫って以来、我が国と米国の距離感は我が国を悩ませ続けている問題である。「適切な時にはNO」を言う。というのは、何か「胸がすかっとする」感覚はあろう。だが、それは米国にとっても同じなのである。我が国が「助けてくれ」という時に「NO」を突きつけてくる可能性はある。(そのことも想定しておかなければならない)

これまた、先程と同様、「米国は我が国を必ず助けてくれる」このような発想から生まれる「甘え」でしかない。米国に適切に「NO」を突きつけるには、「日米同盟は我が国には死活的重要な同盟であるが、米国にとっては、そこまでのものではない(重要ではあろうが)」という非対称の関係をどうするのかを考えなければならないのである。

これは、我が国うにおける「独自核武装論」も同じ穴の狢である。
「独自核開発」とは米国の関与を減らす。(これで適切な「NO」を言える関係になる)と思われている方も少なくなかろう。では、我が国の通常戦力はどうなっているのか?「米国依存」状況にある。とりわけ敵地攻撃能力に対しては、勿論、我が国だけの能力は全くのゼロとは言わないが、米国が動かない。と「国防」は成り立たない。(専守防衛などというのは、我が国だけ被害を受けるということであり、国防論としては成り立たない、抑止力としても、自国が攻撃される可能性を考えなくてもよいのであるから、戦争へのハードルは低くなる。勿論、どれほど攻撃しても我が国が受ける被害はゼロと言うなら、「やっても無駄」という抑止力は働くであろうが、それは抑止力全体のほんの一部でしかない。「攻撃すれば、自国民の多くが犠牲になる」これこそ「抑止力」なのである。全くのゼロにすることなど不可能であろうし、実際そうしようとするなら、現状に比して膨大な軍事費が求められることになる。)

「我が国独自の核武力」をでは、通常兵器による攻撃の「反撃」として用いることができるだろうか?
いや、あえてもっときつく言うならば、「使う意思があるのか?」と問う。

その覚悟なくして「独自核武装論」など、戯言でしかない。
ましてや保守の方でも、「我が国の核武装は、米国がもっとも嫌がる行為である」などとする意見がある。となれば、当然米国からは我が国へ「経済制裁」を行ってくるであろうし、我が国のプルトニウムも問題視される。(原子力発電を我が国が行わない。というのは、この問題の解決を迫られることとなる。だからこそ、原子力発電廃止論などというのも戯言なのである。よほど「核のゴミ」の問題のほうがましであろう。)

また、「独自核」というのは、「同盟の必要性」を米国で問題化させる。
「米国のプレゼンスの低下」を自ら招き入れることになる。
これまた、我が国の通常兵器の体制から見て、妥当とはいえないであろう。

軍事費を三倍くらいにし、敵地攻撃能力を増強し、核搭載能力を持つ原潜などの保有が必要となろう。となれば、これまた膨大な予算が必要となる。

しかもそのような「使うと決める」(他国がすべて滅んでも我が国だけは生き残る」という覚悟も求められる。ということになる。「誤魔化して保有」しても使えない兵器であるだけで、通常兵器のバランスが崩れるだけである。(当然国民に使用するという覚悟を求めるならば「消費税」を払ってでもと思わせるくらいの措置が必要となってくるであろう。)

我が国に蔓延しているのは、やはり、「平和ボケ」なのであろう。
「政府は」「米国は」我々が望むことはきっとやってくれるに違いない。という依存意識なのであろう。

このような中での「国防論」だからこそ、真剣味に欠ける。言葉遊びにしかならない。
’(だからこそ、さまざまな装丁を行った、対策というものが出てこない。きっとこうしてくれるはずだ。と考えているからである。そうでない場合も想定しなければ、「政策」とは言わないのである。)
というより「生存本能」そのものに、問題が生じているのではないかと思わされる。(私は、「国防」とは突き詰めていけば、この生存本能によるものだと思う。)

このような国民意識の中で、(当然そのような国民意識を変えていく努力は続けていかなければならないのだが)どうすれば「国防」という国家の存在意義を示すことができるのであろうか???

やはり「米国のプレゼンス」を一秒でも長く保つ。必要が出てくるであろう。
米国民の意識(トランプ大統領が選ばれた背景には、米国民の内向き化がある。さらに言えば、米国民が自らの予算を削って、世界への貢献をすることに対して、感謝されるのではなく非難される。皆様方が、そのような状況になった場合、どう感じるのか?「馬鹿馬鹿しい」とは感じないであろうか???

私は、米国の「身勝手な主張」「米国の口出し癖」には辟易。勿論感情的には「いや」である。だが、何度もこのブログで書いているように「感情」と「政策」は別次元のものなのである。(反米感情はあってもよい。ということであるが、その感情をストレートに政策に反映させてはならない。ということである。)

そして、我が国は、米国社会をすべて追随しているようにも見えるが、政策的には一定程度のところでは、踏みとどまっている。ものと思う。勿論、もっと独自性を発揮できるだろう。とは思うが。。。

「同盟」とは異種性ある故に必要であり、同一性だけならば、同じ国家となることも選択肢に入ってくるはずである。(五十一番目の州になる。あるいはシナの自治省となる)

「独自性を発揮するため」には何が必要とされるのか?

我が国は、そのような構造改革(これこそこの言葉を用いてよいものである)をこそ行うべきである。」

ところが、国民民主党の代表選候補者たちは、そのような根本の「構造改革」には触れずに。「少子化問題」を国家の危機である。と称して、第三子は1000万円を与える。などという「処世術」を主張する。(昨日の話を聞いて、やはり「仏国を参考にしたのか」と思ったのだが。これは、ある程度「平等」意識という点で、「子育て世代」の過酷な現状を認識した上での提言。(私は公務員住宅を大学卒業時までの貸与とした。譲渡では、その後広い住宅は不要となるためであり、負担も減少しているからである)は買えるのだが、「平等」への批判に耐えうるものではなく(「公平性」を訴えれば足るのだが)「給付」ばかりに重点を置く、国家の存在意義に対する無理解があるように思う。結果として「国家」よりも「国民」重視。というより、「国家軽視」になっている。「個人あっての国家」観が見て取れる。「国家あっての国民」という両輪を度外視したものでしかない。だから、票集めにしか見えないのである。

「国家」として、国民の生命財産を守る一方で、国民は国家に対する忠誠も一方で求められる。
このこと抜きに、そして、「国家が国民を守らない」という「真面目な小久保言う論の不在」というものは、国家下の中世、信頼をそぎ落とすだけであり、政治不信を生む結果しか生じさせない。のである。

そして、このような「浮ついた提言」をすること自体、国民を馬鹿にしている。としか思えない。
万一、ほとんどの国民が馬鹿であれば、民主主義では馬鹿な政治家しか生まないことになる。
私は、「自らの主張に与しないのは国民は馬鹿だから」とでも思っているのでろう。そうではなく、相手にされないのは、その主張に覚悟も正当性も正統性もないからに他ならない。

仏国の少子化対策は、このような措置とともに「婚外子」への扱いつまるところ「家族意識」が、我が国とは大きく異なっている。その点も注意しておかなければならない。仏国は又、自らのアイデンティティを形成させるに必要であったであろう「騎士道」を崩壊させ、国王をギロチンにかけた。「歴史」より「制度」これがアイデンティティの重要な要素とせざるをえないことなど、何らの比較もしていない。お粗末でしかない。少なくとも「新渡戸稲造の「武士道」を読めば少しは理解できるだろう。)

我が国は、仏国のような国を目指すのか?
歴史的にも、民族的にも、文明的にも「同じ」になることはできない国である。
と言えば「原発反対」であり「独自核は持たない」と主張する。仏国の「核兵器」が欧州の核となっているからこそ、そのEUの独自性あることには目を瞑る。
(仏独接近は、あくまでも石炭つまりは「経済」かた発したという我が国の常識が、このような過ちにいざなうのである。仏独接近は、経済だけではなく「仏国の核」を欧州の核として提供する意思を仏国が示したことも大きな要因だということを学ばないからである。)

さらにいえば、独国は、コール首相の下「独自核武装論」を封印した。そrふぇは米国のプレゼンスの低下を招くという政治判断からである。

わが国がおかれた状況を考えれば、仏国を理想とすることができないことが、理解できるだろうし、また北欧が福祉国家として、我が国にとっては「理想」のように見えるかもしれないが、その中には「ロシア」への脅威が今なお根付き、ロシアとの軍事バランスを維持している。このような姿が我が国で報道されることはない。なぜ日露戦争の我が国の勝利に北欧諸国が歓喜の声を上げたのか?ここを教えないためであろう。となれば「日露戦争」の世界史的評価を考えることになる。と同時に大東亜戦争の世界史的意義についても考える端緒となると私は思うのだが。。。)

本当に「都合のよい」ところしか見ていない。

少なくとも、
なぜ欧州の偉大な政治家と呼ばれるコール元首相は、不人気(落選をも経験している)だったのか?

「ポピュリズム」(国民が願うことを実現するのを目的化すること)はなぜ、民主主義と親和性を本来持たないのか?

「ポピュリズム」の先には何があるのか?
ナチスドイツ、ヒトラーは、ポピュリズムから生まれたものである。そしてその時の独国はどのような憲法をもっていたのか?

この位の検証が、全くなされていない。
これは、「危機」である。

・危機を危機と認識しないことが最大の危機
・妄想癖
「現実」の上に理想がおかれる。
「理想」を現実と見做して、その上に理想を置くことを「妄想」というのである。
・手段の目的化は、誤りである。

戦後日本を覆ってきたこれらの悪弊
その結果としての「民主党政権」

我々が、経験した悪夢のような政権は「戦後日本」の必然であり、これらの経験を経ずして、覚醒は望めなかったものと思う。しかし、その最悪の結果をもたらした「民主党政権」を経てもなお、何もわかってない。

一方、民主党政権批判だけに終始するのもまた、戦後日本の象徴のようなものであろう。

やはり期待するようなレベルには全く達していない。
結局は「安倍総理の主張するような憲法改正は行わない。させない」というだけなのだろう。

「憲法改正に対する国民投票は、国民の主権のひとつ」
このような認識すらなく、「国民重視」などと言いながら、「国民を信用しない」一つの証。
つまりはこのような改正案が出されれば、憲法改正は成立してしまう。とでも思っているのであろう。

ならば、当然自らが思うところの「改正案」を提出すればよい。
というところには至らない。これを議論し、結果を導けば、「党は崩壊する」とでも思っているのであろう。国民にとっては迷惑以外の何物でもない。

ただ、「憲法」に銘記すべきことと、法律に記すことの違いだけは認識している。というのは、唯一の救いであろう。「憲法」に何でもかんでも盛り込めばよいものではない。ことは、軍事・国防分野だけではなく、当たり前のものである。

憲法に従って、解放が作られる。
「遣欧議論」にとって、何でもかんでも書かなければならない。などという主張は誤りでしかない。

となれば、「護憲」を掲げる場合には、下位法をどのように整備し、どのように「国防」を全うするのか、現状の我が国周辺状況などを含めて、提言すべきなのである。

そこで国民に「選択肢」を与えればよい。

「護憲」は「改憲」と対比しているかのように錯覚される方もおられるであろうが、「構造改革」の一環としての「改憲案」は国民に選択肢を与えている。ということを忘れてもらっては困るのである。

やはり、国家の存在意義として「安全保障」「国防」「軍事」を考えないから、平和ボケ、野党ボケになってしまうのである。そして最も危険に思えるのは、その「平和ボケ」を可能にしている「米国との関係」を真剣に考えていない。(米国も必要とするのが日米同盟。であり、米国は同盟維持のためにあらゆる貢献をしてk十れるはず。というやはり米国をパパかママだとかしか考えない徹底した甘えであろう。

文責 上田 和哉





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Last updated  2018.08.28 12:30:08
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