思わぬ拾い物をした東京薬科大学の学園祭での古本市。前回画像を掲載した〈名著復刻〉シリーズのなかからさらに10点の画像をお見せする。
島崎藤村『落梅集』明治34年、春陽堂刊
左が表紙。これを薄紙で包んで右のような状態で書店に並べられた。
谷崎潤一郎『刺青』明治44年、籾山書店刊
色違いの同じ装丁で刊行された叢書の一冊。背の意匠が凝っている(右)。
森鴎外『青年』大正2年、籾山書店刊
上掲と同じ装丁本。
斎藤茂吉『歌集 赤光』大正2年、東雲堂出版刊
アララギ叢書第2編。装丁は何ということもないが、天金をほどこしている。
徳田秋声『あらくれ』大正4年、新潮社刊
文庫版サイズだが、布装、凸版金箔押しの背文字である。箱は題僉(だいせん)貼り。
佐藤春夫『病める薔薇』大正7年、天佑社出版刊
箱の著者名および序文寄稿者名を「氏」をもって記しているところが、なんとも・・・。本書は佐藤春夫の最初の著作集である。作品「病める薔薇」は後に「田園の憂鬱」と改題された。
芥川龍之介『傀儡師』大正8年、新潮社刊
芥川自身の装丁である。箱と表紙に2種の文字を使って、格調高いデザインとなっている。なかなか難しいことなのだ。ただし、ちょっとしたミス(ミスと言わなくてもよいが)をおかしている。掲載画像では本が正しく箱におさまっているように見えるかもしれないが、私が本体の背文字側を箱にさしこんでいる。本来、箱は画像として左に置かれなければならない。つまり、題字の位置は、箱と本体とでは表裏逆になるように設計しなければならないのだ。そうしなければ、箱に本体を入れたときに題字がうらおもてにひっくりかえってしまう。この著者自装は、まさにひっくりかえっているのである。「餅は餅屋」の譬えを忘れるべからず、かもしれぬ。
萩原朔太郎『青猫』大正12年、新潮社
箱、本体、ともに題簽貼り。装丁は、いろいろ手をつくしていじくりまわしたくなるところをじっと抑えて、この題僉のおきどころひとつで瀟洒にきめた。捨てがたい手腕である。本紙はアンカット。読者はペーパーナイフで頁を切りながら、萩原朔太郎のそこはかとないフランス趣味を感じるはず。本を読む喜びはそんなところにもあるのだ。そしてブックデザインのおもしろさでもある。
北原白秋『繪入童謡集 トンボの眼玉』大正8年、アルス刊
挿画:矢部季、清水良雄、初山滋。
秋田雨雀『太陽と花園』大正10年、精華書院刊
装丁:工藤信太郎、挿画:早川桂太郎。