雑誌「面白半分」を創刊した佐藤嘉尚氏が19日に亡くなられた。「面白半分」は1971年から1980年まで、ちょうど10年間つづいた。吉行淳之介や開高健、野坂昭如らが半年毎に編集長をつとめる話題性とともに、それぞれの特徴を出して読書人に支持された。創刊翌年の72年に、永井荷風が変名で書いたといわれる「四畳半襖の下張」を復刻掲載して、わいせつ裁判に付され、佐藤氏はそのとき編集長だった野坂氏とともに有罪となった。
余談だが、当時私はその掲載誌から「四畳半」を和紙に墨書し、浮世絵春画風の絵を描きそえて写本をつくったことがある。途中まで描いて、たしか仕事が忙しくなって、そのまま筐底に秘してしまった。いまでも作品資料箱をさがせば出て来るにちがいない。
さて、雑誌「面白半分」が終刊になるその直前、すなわち1980年1月号から7月号まで、私は、アンジェラ・カーター著、北村太郎訳『世の終わりのイヴ』の挿画を描かせてもらった。しかしこの連載の北村氏の訳は、たしか雑誌が終刊になったために完結しなかったのだ。いま北村氏の翻訳書目録をしらべても出ていないので、たぶん永遠の未完訳となったのであろう。とすると、私は「面白半分」の最後の挿絵画家ということになる。
じつは、この執筆依頼は大変うれしかったことを憶えている。先に述べたように、私には密かな「四畳半」への思い入れがあり、その復刻掲載が、結局は有罪になったとはいえ、すくなくとも私が永井荷風の春本を読むことができたのは「面白半分」のオカゲだった。そして、そういう小説を果敢にも日の目をみさせようと企てた雑誌に、いつの日にか自分も執筆したいものだ、と思っていた。
担当してくれた若い編集者とも気があい(と云っても、そのころは私も若かったのだが)、仕事を離れて図像学的な研究のヒントももらったりし、私はこの挿画で自分としてはペン画で新しいエロティックな分野を模索させてもらった。わずか7回の執筆であったが、忘れられない仕事である。(この挿画はブログ左のフリーページに掲載しています。挿し絵Part4『世の終わりのイヴ』をご覧ください)
佐藤嘉尚氏のご冥福を祈ります。
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Re:「面白半分」佐藤嘉尚氏逝く(11/20)
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増子信一 さん |
山田さま
ご無沙汰しています。この『記事に出てくる「面白半分」の若い(若かった)編集者です。今度、「面白半分」について喋ることになって、調べていたらこの記事を見つけました。お元気そうで何よりです。
(Feb 22, 2017 01:40:38 PM)
増子信一さん
>山田さま
>ご無沙汰しています。この『記事に出てくる「面白半分」の若い(若かった)編集者です。今度、「面白半分」について喋ることになって、調べていたらこの記事を見つけました。お元気そうで何よりです。
おお! 増子さん! お懐かしい、37年ぶりですね。ご無沙汰しておりました。その節はお世話になりました。ご記憶でしょうか、私に「天使の羽翼」について研究してみてはどうかと示唆してくださったのを。以来、そのことが頭を離れず、画像を探求したりもしたのです。そして、実はようやく最近になって、天使に羽翼を付けるというイコノグラフ上の問題がキリスト教学やその周辺の哲学にとってかなり重要な歴史的な問題をふくんでいるらしいことに気がつきました。増子さんにヒントを頂いてから37年も経った、今になって! まだ執筆するまでには至っていませんが、小さな文章にまとめようと思っています。
私も、72歳になります。
増子さん、お元気で! 思いがけないご連絡を頂戴いたしました。ありがとうございました。
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(Feb 22, 2017 04:20:03 PM)
Re:「面白半分」佐藤嘉尚氏逝く(11/20)
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増子信一 さん |
山田さま
「天使の翼」の件、そんな生意気なことをいっていたのですね。お恥ずかしい限りです。若冲についてお話ししたことはよく覚えています。機会があればお目にかかりたいですね。
(Mar 1, 2017 10:53:14 AM)
Re[1]:「面白半分」佐藤嘉尚氏逝く(11/20)
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山田維史 さん |
増子信一さん
>山田さま
> 「天使の翼」の件、そんな生意気なことをいっていたのですね。お恥ずかしい限りです。若冲についてお話ししたことはよく覚えています。
当時、私は増子さんの直感の鋭さにただただ感心していました。今になっても、「天使の翼」の件、さすがだなと思いました。
>機会があればお目にかかりたいですね。
いつかお会いできることを願っています。
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(Mar 1, 2017 05:42:53 PM)