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テーマ:『義経』(332)
カテゴリ:大河ドラマ『義経』
しずやしず~、ああ、しずやしず、しずやしず~。。(意味不明)
大河ドラマ『義経』 第46回 「しずやしず」ストーリーのことは、もういいですね。 公式サイトやら、どなたかが出来の良いあらすじを書いていますから。。 静(石原さとみ) 今回は、まずこの人。 私、石原さとみちゃんの演技=ヘタという先入観があるというか。。 あの語り口、声なんかが苦手なんで。。 この静には終止、感情移入が出来ないんですけど。。 今回の演技は。。 出産のシーンにしても、そのあとの我が子を探すシーンにしても、 もちろん、舞のシーンにしても。。 見事というか。。熱演だったなぁ。。と認めざるを得ないですねぇ。。 いや、関心するばかりで、 なかなか感動というわけにいかないのが悲しいところですが。。 それでも、ラスト、 舞を奉納し終わって歩いていたときは、わずかながら感慨がありました。 義経(滝沢秀明) 彼の心の動きは、お約束通りすぎるというか。。 あまりにも、当たり前のことなんで、なんとも思わないです。 (これまで積み上げられていれば、それでも感動できるんだろうけど。。) 彼は、いつまでも本当のことは知らないまま、 お坊ちゃん的に生涯を終える運命なのかねぇ。。 佐藤忠信(海東健) もちろん、この人も今回、欠かせないんだけど。。 あまりにも、あっさり。 兄のような見せ場は与えられなかったねぇ。。(兄ですら、あの程度なのに。。) あれじゃ、泣けないよ。。 その他大勢のような郎党の一人として死んでいった『義経』での忠信。 哀れだ。 北条政子(財前直見) 歴史の陰に女あり。 だって。 歴史の陰が物語の表になってますからねぇ。。このドラマは。 別に、それでも良いんだけど。。 源頼朝(中井貴一) すっかり、何を考えているのかわからない人に。。 まぁ、今回は、割と感情が出てたのかなぁ。。 奉納の席に居合わせた御家人たちよりは器の大きさが現れてたって感じなのかなぁ。。 うつぼ(上戸彩) これで最後ってことはない気がする。。 弁慶、二郎、三郎、喜三太、義久(松平健、南原清隆、うじきつよし、伊藤淳史、長谷川朝晴) 相変わらず一山幾らで。。 今更だけど、二郎の泣きの演技は茶化してるようにしか見えない。 三郎は、今回いくらかマシだったけど。。 以上。 もう、残り4回か。。 →人気blogランキング
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今回は政子対静だったのでしょうか。それにしても、政子には権力がありすぎると思いました。その場で即断できるほどの力があったとは、思えないのです。
(2005.11.20 22:21:19)
じろこ04131606さん
今回は、誰vs誰って構図は薄かったんじゃないですかねぇ。。 冒頭の解説で静と政子が対比されただけで。 強いて言えば「女vs男」ですかねぇ。。 それよりかは、それぞれの意志の貫き方を、それぞれに描いたって感じかもしれません。 たしかに政子の権力が強すぎる気がするんですよねぇ。。 前々から。。 お陰で頼朝の影が薄くなりがち。。 (2005.11.20 22:50:23)
私のイメージも石原さとみ=ヘタ です。
舞の場面は今回は良かったですね。 実際に源氏一族は北条氏によって翻弄されていたんでしょうが、 この頼朝は政子の言うままですね。。。 あんな公の場で政子が静を助ける事ができるほど 女性に権力があった時代とは思えませんよね(^^;) (2005.11.20 23:01:02)
こんばんは。今回の石原さとみはよかったですね。静御前の見せ場をうまく演じきってくれたと思います。なんにしても見せ場を見せ場でなくさないでくれて本当に良かったですね。
(2005.11.20 23:14:56)
くうふう3さん
石原静。。 今回、クレームをつけるとすれば、 前回の時政からの詮議のシーンでも見せていた、 あの三白眼気味の睨みですからねぇ。。 どうも病的に見えちゃって。。 意志の強さの表現ならば、もう少ししっかりと見据える感じの方が◎だったんではと。。 私、この時代背景に詳しくないんで、よくわからないんですけど、 先に尼将軍と言われるほどの政子ですから、ある程度の権力は持っていたとしても。。 後世で徳川家康すら大政治家と表敬した頼朝存命中に、それを封じ込めるほどの力があったのかと考えると、 たしかに腑に落ちない感じがしますねぇ。。 実際、通説ではどうなんでしょう? (誰かが答えてくれることを願ってみる。。(^_^;A)) (2005.11.20 23:21:17)
いわぴい2513さん
個人的には「良かった」と言い切れない部分もあるんですが。。 頑張りは認めます。(何で上から目線?) >なんにしても見せ場を見せ場でなくさないでくれて本当に良かったですね。 静の舞の奉納は良かったんですけど、 忠信の最後は、もう少し重く扱ってあげて欲しかったかと。。 (2005.11.20 23:24:00)
冒頭で、「静対政子」のような紹介をされていて、
それぞれの長所というか武器になるのが 静:芸能 政子:政治力 これはちょっと・・と思わざるを得ませんでした。 冒頭の「こんな風に見てね」というのが露骨過ぎ・・・。 ここの静、というか、義経から引き離されたあとの静は、病的なほどの暗さを見せてくれる描き方が、私は個人的には好きです(笑) あんまりサワヤカにされるのもイヤだな~。 でも、これはもう、好みの問題でしょうね。 あるいは、男性視点と、女性視点の差? これが宮尾の原作どおりならば、なるほど女性の視点なんだなと思うとこです。 この話、多分静と対比するために政子の権力をとても大きく強く見せてますけれど、実際のところ、政子はそんなに政治好きな人だったとは思わないんです。義高の件でも政子が義高を逃がそうとしたというエピソードもあるし、静の今様に激怒した頼朝をなだめたのも有名な話で、情に揺さぶられる部分を結構出していますし。亀の前への仕打ちとか、感情丸出しで(笑) 全部史実なのかどうかは分かりませんけど、激情に駆られると何をするか分からない人ではあったように思います。 でも、政子が強い政治家だったかというと疑問です。 北条も、それほど強かったとは思わないです。 結局、北条が政権を取れたのは、他勢力を平らげたのは三代将軍実朝(頼朝次男・源氏直系の末裔)の死後だと思うし・・・。 で、その時代を比較的冷静に書き留めているといわれる「吾妻鏡」は実朝の件があった後の北条の記録なので、北条を正当化し、強化するように書かれているので、はじめから北条が強かったような印象を受けますが、実はそれほど大きな所領を持つわけでもない北条は、「頼朝の舅」という拠り所にすがるしかないわけで、それを強めるには政子を「尼将軍」という大人物に仕立て上げなければならなかったんじゃないかなと・・・。 (2005.11.21 14:05:35)
続きです。
頼朝の実子の頼家や実朝を殺したのは北条とする説が一般的な見方で、政子を冷徹な政治家・尼将軍と見るのは、「家のために実子(+孫)を二人(孫も入れて3人)も見殺しにした」点にあるんですけど、実は頼家(とその子)の後見の家(比企だっけ??)と北条との対立が裏にあるし、実朝殺しの方は北条がバックにいましたが、頼家を後見した家の意趣返しではないか、とする見方の方が、真実に迫ってるんじゃないかなと(永井路子説ですけど・・・これは永井の「北条政子」ほか、鎌倉黎明期を扱った作品群を読んでの感想ですけど) その後、実朝殺しを逆手にとって政権を奪取するのが政子の弟の義時・泰時親子なので、北条全盛はその後でしょう。逆に言えば、史書で自家を正当化して見せねばならないくらいに、北条の地盤は強くなかったってこと・・・。 ま、ともかく、まだ頼朝と義経が対立しているこの時期に、政子や父の北条時政がそれほど強かったとは、私は思ってませんです。 頼朝のスゴイとこってのは、舅の北条家も権力のo.1には立てないくらい他家の勢力も強かった坂東で、微妙なバランスを保ち続けて、1つの秩序を確立したとこじゃないかなーと思っている昨今です(勉強不足) とすれば、義経の「たかが官位もらったくらいで」ってのが、どんだけその頃の頼朝を焦らせたんだろうというのも分かるような気がします。 けれど、今回のドラマは、鎌倉であっただろう熾烈な権力争いを書く余裕が無かったから、「実は情に深い頼朝兄さん」を描くのはちとキツイ。 その分、政子に冷徹さが乗っけられた気はしますが、私はこういう強い女性もいてほしいので「このドラマの政子」には好感を持ってます。ハイ。 以上、余計なお節介でした^^; (2005.11.21 14:06:44)
k-nanaさん
おー!! しっかりとしたご解説、ありがとうございます。 冒頭の解説って、たまに脚本が本当に伝えようとしていることから逸脱した見方を視聴者に強要していく場合があるような。。 余計なお世話感の強い冒頭の解説でしたね。。 女性の恨みは恐ろしいということなんでしょうかねぇ。。 その現われが、あの目つき。。 男は、どこか「割り切って欲しい」と思っているところがあるのかもしれません。 北条氏の権力のお話、大変勉強になりました。 ドラマですから、そのくらいの脚色はされて良かったんだろうと、私も思います。 頼朝は体制を維持する為には、 小事に見える義経への対応に、とことん頭を悩ませなければいけないほど、不安定な基盤の上にいたと。。 どこか理不尽なようにも見える頼朝の義経に対する言動の源が少しはわかったような気がしました。 自分でも少し勉強してみます。 (2005.11.21 21:00:01)
str2000さん
>k-nanaさん >おー!! >しっかりとしたご解説、ありがとうございます。 源氏直系が絶えた後、武士たちが鎌倉への求心力が弱ったのを契機に、後鳥羽上皇が「承久の乱」を起こすんですが、 そのときに鎌倉(北条)は「頼朝の妻・政子=尼将軍」として「頼朝の恩義を忘れるな」「いざ、鎌倉」、と全国の武士どもに檄を飛ばして寝返りかけた武士を叱咤したってことは、あったみたいです。 尼将軍と呼ばれるようになったのはこの後でしょうね~~。 > >頼朝は体制を維持する為には、 >小事に見える義経への対応に、とことん頭を悩ませなければいけないほど、不安定な基盤の上にいたと。。 >どこか理不尽なようにも見える頼朝の義経に対する言動の源が少しはわかったような気がしました。 >自分でも少し勉強してみます。 ----- そうなんですよ~。 実はすご~~く気づかいの人でもあったみたいなんですよ~~(笑) 何せ、朝廷とは違うところに武士の政治の基盤を作ろうっていうのは、それまでの日本史上初の試みですから、うまく行くかどうか分からなかった。多分不安もいっぱいあっただろうなと思うんですよね~。 (2005.11.22 04:46:55)
k-nanaさん
更に補足していただいて、大感謝です(ペコリ) お話を伺えば伺うほど、 鎌倉の政権っていうのは、頼朝の類稀な才覚によって成り立ってたんだな。。と思うようになりました。 死後、まもなく政情が乱れたことにも、基盤が現れてますね。 家康なんかは、死後も安定した徳川家の支配を保ちますけど、 400年以上もあとのことですからねぇ。。 武家政権の基礎も何もない段階での頼朝の労苦はいかばかりであったか。。 (2005.11.22 07:53:33) |