カテゴリ:長崎での小学生殺人事件
殺人に「美」を感じる人がいるらしい。
私には信じられないことだが、ある発言で私はそれを知ってしまった。 以下の発言をしたむにゅうはここです 長崎の小学生女児殺害事件について。 >殺人に「美」を感じることは異常でもなんでもありませんよ。 (2004年12月19日 22時30分) 私はこう質問した。 >殺人のどこが美なのか? >君のような考えの持ち主にはなかなか会えないので是非訊いておきたい。 むにゅうはこう答えた。 >お前には教えない。 >ていうか、感性や情緒が未発達のあなたには教えても理解できませんよ。 8ビットのパソコンにWindowsをインストールするようなものです。 むにゅうの掲示板での風船君の発言。 >殺人はひとつの美学です。 デカタンスです。現実には忌まわしいですが クゥェストパラダイス 楽園の征服 大量殺人者の美学これは昔から文学では取り扱われていることで珍しいことではありません。 現実には迷惑な話です。 (2004年12月22日 00時31分) つまりは「どこが美なのか」という点には触れない。 「文学で扱っている」という他力本願のみだ。 「殺人はひとつの美学です」という点で思考が停止してしまったとしか考えられない。 また、被害者家族が「殺人は美」という発言についてどう感じるかについては考えていないようだ。 むにゅうの発言 >りゅうちゃんも、もっと視野を広げてくれるとよいのですが・・・。 (2004年12月22日 17時30分) 殺人のどこが美なのか、「教えない」と言いつつ、「視野を広げろ」という。 この人考えを理解して欲しいのか欲しくないのか? 「視野を広げる」ことで、殺人が美だと言い出すのなら、私は視野など広げなくてもいい。 こんな発言もあった。これが本心なのだろう。 >自分の誇りを守るために戦ったことには、ある種の美学を感じました。 >他人の尊厳や誇りを理解できない人間が殺されるのはいたしかた無いと思います。 こんな発言もあった。 >人を殺すのは、人として死なせるのだから、相手の尊厳と名誉を守ることになる。 >人の精神を殺すのは、人を人ではないものにするのだから、殺人よりも罪が思い。(本文ママ) >こういう考え方も、あるのです。 >相手を弑するほどに憎んだその精神は、命あっての物種といったせこい損得勘定を越えて純粋です。 この発言については出典を求めたが、ついに示されることはなかった。 「自分勝手な意見」としか解釈できない。 こんなのもあった。 >>まさか批判の主は被害者家族の前でも殺人の肯定をするわけではあるまい。 私のの質問に対し、むにゅうの答えはこう。 >思考実験で、被害者家族の前で殺人を肯定してみましょう。 「あなたの娘の命を奪った犯人を殺して復讐をしましょう。あんな悪いやつを殺すのは正しいことです!」 できちゃった(w ・・・・・・・人生には余裕が必要ですね(w ここまで殺人をふざけて発言できる人はいまい。 ところで「殺人は美」と書かれた文章を読んで、 殺人で家族を失った人はどう感じるだろうか? 楽しいはずはない。 少なくとも私が家族を殺人で失ったら、「殺人は美」とは書かれたくはない。 そんな文章は読みたくはない。 暴言の主にはそんなことは考えられないのだろう。 このように楽天にはとんでもない暴言がある。 こうした暴言は一部だろう。 少なくとも私はこうした発言を「反面教師」として考えたい。 暴言も役に立つものだ。 *現在掲示板と日記コメントは閉鎖しています。悪しからず。 意見があればメッセージでどうぞ。 トラックバックも受け付けています。ただし殺人を正当化しない人に限ります。削除もあります。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2004.12.25 12:28:54
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