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カテゴリ:社会問題
福岡の中学でのいじめによる自殺事件。
舞台となった学校とともに担任の対応が問題となっている。 福岡いじめ自殺、担任悪ふざけ多かった(日刊スポーツ) 問題の教員は以下のようなことがあったという。 (1)騎馬戦の練習中、転落した男子生徒が大事を取って腕にギプスを巻いたものの、骨折などの異常がなく外したところ「ウソだったんだな」とからかった。 (2)クラスの生徒を成績に応じ、イチゴの品種になぞって序列化。優秀な生徒は「あまおう」「とよのか」と呼び、成績の悪い生徒を「出荷できないイチゴ」と呼んだ。 (3)男子生徒が自宅で見ていたネットの内容を相談したところ、相談内容を同級生に暴露した。 (4)男子生徒が級友の消しゴムを拾ったところ「君は偽善者だ」と言った。 (5)女子生徒に「太っているので豚」と言った。 (上記の記事から引用) 今さらながら言う側は「悪ふざけ」なのかもしれない。 しかし言われた側はそうは思わない。深刻さがまったく違う。 まさに「足を踏んだ側」と「踏まれた側」の差がここに出ている。 この件で思い出すのが中野・富士見中学いじめ自殺事件。 「葬式ごっこ」には担任も参加していたという。 この事件でも中学2年生が1986年に自殺した。 もし、教訓としてこの事件が記憶に残っていれば、今回の自殺は防げたのではないか。 そう思わずにはいられない。 日本弁護士連合会(日弁連)の会長(土屋公献 当時)はいじめによる自殺に関して1994年、以下の声明を出している。 いじめによる自殺事件に関する声明 >中野富士見中学事件の東京高裁判決をはじめとする裁判例においても指摘されているように、学校には生徒の安全を保持すべき義務があり、生徒相互の人間関係の実態を認識して適切な対処をしていじめを防止すべき義務がある。 「生徒はミカンじゃない」という台詞は金八先生で有名になった。 今でも生徒をイチゴに例えている教師がいるとは驚きだ。 多くの現場でこうしたことは日常的に行われているのかもしれない。 実は知られていないだけで。 相当に問題ある教師でもなければ教室は教師のやりたい放題になる。 特に今回のような教師にとっては。 教師が率先していじめていたのでは自殺した生徒も浮かばれない。 教室は「閉ざされた空間」であってそこには救いがない。 本当は教師こそが救いにならなければらないのに教師が「主犯」とは。 生徒は担任を選べない。 このような担任に「運悪く」当たってしまったらそれこそ地獄だ。 しかしながらこの担任だけ悪者にするのもまた危険だ。 この教師を批判している人も、別の場面で同じ事をしているかもしれない。 一人悪者を見つけるとそすれで解決したかのような空気が流れることがある。 しかしそれでは「スケープゴート」でしかない。 本当に大切なのはこれからだ。 同じ事件が二度と起こらないように原因究明とと対策が必要。 そうでなければ自殺した生徒が浮かばれない。 大事なのは犯人探しではない。 次の犠牲者を出さないことだ。 もしこのような担任に苦しんでいる生徒がいたら。 無理に学校へ行かなくてもいい。 それは何も悪いことではない。 黙って苦しんでいても何も解決しない。 それだけは覚えておいてほしい。 *********************** 関連記事 いじめの火種 「いじめ」と「自殺」と「先生」 福岡いじめ自殺 担任教諭もいじめ 「いじめ」って言い方なんとかならんか?/新潮・まさに馬脚 福岡中2・いじめ自殺事件 福岡で中2男子自殺 犯人探しをしても始まらない(いじめ自殺) 教育現場は病んでいる 筑前町立三輪中学でいじめ自殺 福岡いじめ自殺 ~お互いの個人の尊厳を尊重する事が、お互いの命大切にする事に~ 福岡いじめ事件の迷走 最低の教師。 朝令暮改の教育行政 教育とは一体何か ↑「学校の責任、この言葉ほど無責任な言葉は無いと思う」とのこと。 しかしどう考えてもこの件では学校の責任は重い。 私はこの意見には賛成できない。 *********************** *********************** ***トラックバックはテーマに関係するもののみどうぞ。 その場合リンクは必要とはしません。 意見があればメッセージでどうぞ。 ただし荒らしと挨拶できない人はお断りです。 今のところメッセージは全て読んでいます。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2006.10.18 17:28:36
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