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カテゴリ:映画
映画、特にドキュメンタリー映画の「意義」について考えさせられた一本。歴史というものがどれほどひとりの人間を翻弄するか、あらためて教えられるだけではない。こんなにも稀有な体験をした人間を「記録」するには映画をおいてほかにない。これこそが映画の存在理由とさえいえるのではないかという思いを強くした。
ニューギニアで現地人を殺し、戦犯として巣鴨プリズンに収監される。釈放後、結婚して生まれた長男はサリドマイド障害児。薬害訴訟の先頭に立ったが、ダンサーだった妻に先立たれ、現在88歳、戦争体験を含む自分の人生を「語り継ぐ」ことをライフワークにしている飯田進という人のドキュメンタリーである(2009年、伊藤善亮監督)。 「昭和」という時代がどれほど酷薄なものだったか。この映画ほど静かに告発している映画はほかにないが、どちらかというと飯田さんの人柄や生活に重点をおいている。したがっていちばん印象に残るのは、医療不信のあげく孤独死した息子のエピソード。不自由な体で世界中を旅していたらしいが、息子の好きだったネパールに公園をプレゼントしたり、社会福祉法人を設立して理事長をつとめたりという篤志家の面が強く伝わってくる。 しかし、そうした行動の根っこには戦争体験というか戦場体験があり、ニューギニアで餓死した仲間の日本兵たちの「無念」への思いがあるのだろうと思う。 調べてみると著書は11冊あり、それなりに知られた人なのだろう。しかしこの映画を観るまでは、こんな人がいるとはまったく知らなかった。映画では著作に打ち込む姿もとらえられているが、こういう人の著作はすべて読んでみたいと思わせた。 後世にはこういう映画をこそのこさなければならないと思う。ニューギニアでの無残な敗退と無意味な餓死は、「戦争だったから」では済まされない。 場当たりで無責任な体制は、憲法が変わり、政治権力の交替にもかかわらず一貫している。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
January 2, 2012 11:46:00 PM
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