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投資の余白に。。。

投資の余白に。。。

June 25, 2013
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カテゴリ:映画
映画評論家の佐藤忠男は、映画とは「自惚れ鏡」だという。言い換えれば、映画という芸術は本質的に(その映画のテーマやイデオロギーとは無関係に)右翼的・愛国的なものだということだ。

この見方は卓見であり、どんな国の映画を観てもそう思う。たとえばアメリカ映画によくある反戦をテーマにした作品でさえ、政府に反対する言論・表現の自由が保障されているアメリカという国に対しては肯定的に感じられるように作られている。政府は間違いも犯すが、民主主義がある限りいずれは修正される、といったぐあいである。

民主主義そのものの欺瞞性・偽善性については、アメリカ原住民など少数民族の立場に立ってみるとわかる。多数決を原理とする民主主義は、少数民族にとっては抑圧しか意味しないからだ。古代ギリシャの民主主義が奴隷や女や子どもを排除した「選民」のものであったのと同じだ。

アメリカ海軍の特殊部隊シールズによるオサマ・ビンラディン暗殺作戦を描いた158分のこの映画(タイトルはビンラディン襲撃の時間を指している)は、しかし、ギリギリのところで「自惚れ鏡」であることを拒否した映画になっている。

特に全体の山場を形作るビンラディン邸襲撃の場面など、ドキュメンタリー映画のような迫真性がある。正規軍による「テロ」の残虐性をもあますところなく描き、勧善懲悪の甘さなど微塵もない。

ビンラディンの居場所を特定するに至った女性調査官が美人であるあたりはご愛敬だが、頭脳明晰にして意志強固なこの女性が、作戦成功のあと、泣きながら撤収し帰国するように描いているあたり、この作戦そのものを突き放して描こうとする監督の意志が表れている。つまり、この映画を作ったキャスリン・ビグローという女性監督は、国際法をも無視して越境した正規軍が個人を暗殺し、その行動に国民が熱狂するといったアメリカ社会に大きな疑問符を投げかけているのだ。もちろん、商業映画であるからして、正面からこの「国策」に反対してはいない。しかし、拷問、越境、無関係な人間の殺害といった「アメリカ帝国の犯罪」をありのままに描くことによって、アメリカ社会の異常さに根本的な疑問を投げかけている。

そのことによってかろうじて「自惚れ鏡」ではない映画になったといえる。

民間航空機を乗っ取り、無関係な乗客・市民を巻き込んだ9・11テロについては非難されてしかるべきだ。しかし、9・11テロの責任は、元はといえば戦争放火者としてのアメリカ政府にある。9・11テロを全面的に擁護し賛美するような映画が作られてはじめてアメリカの民主主義の健全さが証明されると考えるが、そういう日は永遠に来ないだろう。






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最終更新日  July 4, 2013 03:15:48 PM
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