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2011年12月19日
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胸元の小瓶から、海のちいさな囁きが聴こえる。

列車の窓からはもう、青く広い輝きが見えていた。

もう少し。
もう少し。

はやる心を抑え、何度目か荷物を確認する。
旅行用のマントがひとつ。鞄の中には私の本と、身近な細々としたものが少し、それから金髪にも黒髪にも似合いそうな、金色の縁取りのついた鮮やかな緑色のリボン。

自分なりの身仕舞いをととのえて、私はあの海に向かっていた。

陸に戻ってからずっと、繰り返していた自問。

私の前世だという焦げ茶の髪の男のことは、やはり未だによくわからない。
それが自分だという実感がないから、戻ると言った彼の約束を、彼としての私は果たせそうになかった。

けれど。
私は私自身の望みとして、鱗が傷つかないよう彼女を抱き上げるだろう。
岩に擦れて痛そうだと、傷をつけたくないと、彼がどうであるかに関わらず今ここの私が思うから。

彼と同じことを思う彼がわからないままの私を、彼女は受け入れてくれるだろうか?

三年の間、まなかいに立って離れぬ面影を思い返すと心臓が踊る。
もし受け入れてもらえなかったら…… そうしたら、近隣の伝承でも集めながら、近くに職を求め海を眺めて暮らそう。

もう少し。
もう少し。

窓枠に肘をついて外を眺めていると、陽の光を反射する青いきらめきが、徐々に近くなってくる。

最後の大きなカーブを列車が曲がり始めたとき、手前の駅で向かいの席に乗ってきた男に名を尋ねられた。軽く振り向いてええそうですがと答えた途端、大きな音が聞こえて衝撃が走る。
周囲で起こる悲鳴、胸を貫いた熱。

目をゆっくりと戻すと、私のシャツに赤い染みが広がっていた。視線を上げた先には、向かいの席で銃を構える見知らぬ顔。

「へ、へへ、よし。この列車に乗ってる、長い銀髪に青い眼の背の高い男。荷物は鞄ひとつとマントだけ。名前も聞いた。お前だ」

男はへへへと笑い続けながらぱっと立つと、カーブで減速していた列車の窓から身軽に飛び降りた。いくつもの顔が窓から外を見つめたが、牧草の生えた青々とした斜面にごろごろと転がる姿はすぐに見えなくなってしまう。

異常に気付いた車掌が慌ててやってきて、誰か乗客に医者はいないかと絶叫している。
そうしている間にも、シャツの染みはどんどんと大きくなって耳も目もぼんやりときかなくなってきた。

もう少し。
もう少し。

もう少し … だった、のに。

重くなった頭を無理やり動かして、窓枠によりかかる。わずかに近くなった海の青。
伸ばした手は窓に邪魔をされ、透明なガラスに赤く指の跡がついた。口元は自分の息でかすかに白く曇っている。
赤と白の命の証。


陸のことを身仕舞して、それでも忘れられなかったら海に会いにゆく。

その約束は自分の心の中だけだったから、彼女は知らない。
必ず戻ると約束して半ばに果てた彼のかなしみを、再現させたくはなかったから。

もう一度会ったら伝えようと、心に包んでいた言葉も彼女は知らない。
マントは丈夫で潮に濡れても手入れのしやすいものにしたことも、リボンは市にでかけて何種類もからようやく選んだことも。そしてあの本も。

伝えたいことは、たくさんあるのに。

海のものと陸のもの、溶けあうには人魚姫の伝説のように、どちらかの国の存在にならなくてはならない。

だから、海に。
一度死んで君に助けられた命だから。


最後の力でつかんだ胸の小瓶から、かすかな海の気配。
波に触れればあなたがわかるからと、君は言っていただろうか?
二人を分かつ、越えられない透明な薄い板。もどかしい。
こんなに… こんなに近くまで、やってきたのに。

瞼が重くなり、静寂の闇が私を包む。


もう少しで … 届くのに。
このマントで君を包んで、驚かせようと思っていたのに。




シシィ … シレーナ。




… 私の、人魚姫。




















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海の約束。



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最終更新日  2011年12月19日 15時44分22秒
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